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川俣初太郎

1928年から1933年にかけ、少なくとも25人の乳児を殺害した『目黒もらい子殺人』の犯人。
川俣は養育費を目当てにもらい子を引き取っては絞殺して遺棄していた。
日本で起きた単独犯による殺人事件のうち、被害者数は都井睦雄に次ぐ第二位。
判決は死刑。

<概要>
川俣の最初の犯行は1928年。養育費目当てに引き取った女児を絞殺して遺棄した。
この犯行はすぐに発覚し、彼は1931年まで服役した。
出所後、川俣は再び犯行を重ねるようになる。
広告を見て方々を尋ねては乳児を引き取り、養育費をせしめて殺害。
本人によれば全部で27人引き取ったということであるが、見つかった遺体は25人。
遺体の多くは西郷山に埋められていた。
なお、獄中から発表した手記があるらしい。

<ノンフィクション>

東京の下層社会 紀田順一郎 ちくま学芸文庫

本件だけでなく、この当時多発していたもらい子殺人について触れられている。
堕胎罪や姦通罪が存在した時代であり、経済的に困窮した夫婦の子や不義の子などを、わずかな養育費を付けて養子に出すことはよくあることだった。
この事件の前後にも似たような事件が多発している。
類似としては板橋岩の坂の事件や寿産院事件が有名。
特に、岩の坂事件でのもらい子産業とでもいうべき状況には慄然とする。
もっとも、本書の明治・大正の貧民街の描写を見ると、このような事件が起こるのも仕方ないという気がしてくる。
そのくらい、この本はどこを読んでも陰鬱。
当時の人々もそう思ったのか、川俣こそ死刑になったものの、岩の坂事件や寿産院の事件では数人に数年の懲役刑が科せられただけだ。
日本は平和になったのだと思わずにはいられない一冊。

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