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松永太・緒方純子

2002年に発覚した北九州監禁殺人事件の主犯。
被害者は事件発覚の契機になった少女(二人により監禁暴行を受けていた)の父親と、緒方の両親、妹夫婦、妹夫婦の娘と息子の計7人。
発覚当時は少女の証言以外に物証がなく、被害者の遺体も結局発見されていない。
当初両被告とも黙秘を貫いており、捜査は困難を極めた。
しかし、一転自供し始めた緒方の証言により、事件の全体像が明らかになった。
2011年には松永の死刑、緒方の無期懲役の最高裁判決が下っている。

<概要>
事件発覚のきっかけは、松永により監禁暴行を受けていた少女が祖父母の元に逃亡したことだった。
このとき、松永は一度少女を連れ戻している。
松永は少女の叔母(助けを求めた祖父母の実娘)の婚約者として現れ、祖父母は礼儀正しく言葉巧みな松永を信頼し、少女を再び松永の手に戻してしまった。
彼女は生爪を自ら剥がすなどの凄惨な暴行を受けたものの、再び隙を見て脱出。
届けを受けた警察により、松永と緒方は逮捕された。

保護された少女は、自分の父親と緒方の家族が殺害されたこと、そしてその遺体を解体して遺棄したことを告白した。
松永は少女の父親や緒方一家の弱みを握り、言葉巧みに彼らをマインドコントロールし、彼らの財産を巻き上げていった。
やがて金を引き出せなくなった頃には、通電など凄惨な暴行を加えて自由意志を奪った。
更に相互監視させることで彼らの逃亡や事件の発覚を防いでいた。

少女の父親が亡くなったのは1996年。
この父親は詐欺容疑で逃亡していた二人に住まいや金を提供させられていた。
しかし、やがて金づるとしての価値を失い、度重なる暴行により衰弱し、食事も満足に与えられなくなり死亡。
松永の指示により、少女と緒方が遺体を解体、海に投棄するなどして処分した。

その後、次の金づるとして目を付けられたのが緒方一家だった。
一家は所謂地元の名士だった。
一族の『厄介者』となった娘を助けるという名目のもと、彼らもまた言葉巧みに松永に取り込まれていく。
松永は緒方の母や妹とも男女関係を持ち、暴力と恐喝により一家を分断した。
彼らから引き出せるものがなくなるまで、あっという間だった。
1997年、まず父親が暴行中に死亡した。一家は遺体を解体して遺棄した。
1998年に入ると、母親が精神に異常をきたし、奇声を発するようになった。
彼女を疎んだ松永の示唆により、一家は母親の殺害を決意し、実行した。
次に、妹がターゲットとなった。娘との口論を取り上げ、松永は彼女がおかしくなったと因縁を付けた。そして、彼女は殺害された。
その後、妹の夫が衰弱死した。
緒方夫妻と妹夫婦が死に、妹の娘と息子が残された。
小学生の娘の方は両親の死について知っていたが、その弟の方は何も知らなかった。
娘は何も言わないと約束し、祖父母の元へ帰ることを希望したが、そんな彼女に対し、松永は弟の殺害を示唆。
娘と緒方により、息子も殺害された。
そして最後には娘も絞殺される。
わずか半月ほどで、一家は全滅してしまった。

この事件の特異な点は、主犯である松永自身は犯行の示唆をしただけで、殺害と遺体の解体には関わっていないところだ。
松永は容姿や弁舌に優れ、詐欺的な商法で荒稼ぎしていたこともあった。
また、女性関係も派手で、複数の女性と関係を持ち、金づるとしていた。
女性達の中には暴行を受け、精神に異常をきたしたり、自殺した者もいた。
逮捕後、彼らの生活していたマンションを捜索したところ、四人の子供が保護された。
うち二人は松永と緒方の実子だったが、残る二人は松永が養育費目当てに引き受けていた子供だった。

<リンク>
まとめ 北九州監禁事件
文章に多少難がある(仮名が場所によって違うなど)が、事件についてかなり詳しくまとめてある。
ただ、一部どこまで本当なのかと思う部分がある。

<ノンフィクション>

消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 豊田正義 新潮文庫

この事件について知りたいならこれ。
この事件を元にしたフィクションもいろいろあるけど(最近闇金ウシジマくんでもやってたね)、事実の方が遙かに恐ろしい。

<類似の事件>
2011年に大阪府で発覚したいわゆる尼崎事件の主犯・角田美代子は、知人を通じて本事件の詳細を知り、研究していたとか。
そのため犯人らと被害者らの構図がよく似ている。

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