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山崎愛美

山崎愛美(よしみ)

北海道苫小牧市で2007年2月20日に発覚した児童虐待死事件の犯人。
2006年10月頃から自身の長男(当時3歳)と三男(当時1歳)を自宅に約一月の間放置、三男を餓死させた。
その後、三男の遺体を交際中の男性宅にある物置内に隠した。
三男の行方が分からなくないことを不審に思った児童相談所の通報により事件が発覚した。
2007年、一審で懲役15年の判決を受けた。

<概要>
山崎は中学生の頃には非行に走り、児童相談所に入所していたこともあるらしい。
16歳の頃に長男を出産。その後も次男・三男を次々と出産したが、夫とは離婚。
以降は生活保護を受けながら夜の仕事をし、長男・三男(二男は事故死しているという。詳細不明)をシングルマザーとして育てていた。

2006年10月30日、山崎は二人の子を当時住んでいた市営住宅に残して家を出た。
子供達は前夜、残り物で作ったチャーハンを食べたきりだったという。
山崎は最初から二人を餓死させることを目的としており、その後12月4日まで約一ヶ月間家に帰ることはなかった。
その間、山崎は交際中の男性宅で暮らしていた。家に戻ったのは異臭による苦情で立ち退きを迫られたからだった。

山崎は二人とも既に死亡していると思っていたが、帰宅すると長男が彼女に駆け寄って「ママ、遅いよ」と言ったという。
長男は残飯や生ゴミを食べて生き延びていた。しかし、三男は山崎が家を出て一週間ほどで亡くなったとみられている。
長男の証言によれば、亡くなった三男は腐敗し、口は虫で一杯だったという。
山崎は長男の目の前で三男の遺体の口にガムテープを貼ったりビニール袋に入れたりして、何とか遺体を隠そうとした。

三男の遺体は段ボールに入れられ、交際中の男性宅の物置に置かれた。
部屋から連れ出された長男はガリガリに痩せていたという。彼は祖母(山崎の母親)に預けられることになった。

その後も子育てに悩んだ山崎は苫小牧市の児童相談所に相談。
しかし、三男の行方不明を不審に思った児童相談所が警察に通報。
2007年2月20日、捜索に訪れた警察が三男の遺体を発見し、事件が発覚した。
逮捕された山崎は警察で、子供の世話が面倒になったことや餓死させるつもりで放置したことを語った。

2007年12月18日、殺人と死体遺棄、保護責任者遺棄の罪で一審で懲役15年の判決を受けた。
なお、その直前の8月、山崎は獄中出産したという。

<リンク>
密室の悲劇-児童虐待を考える(苫小牧民報)

<映画>
子宮に沈める』は2010年に大阪で起きた二児虐待死事件に加え、本事件も基にしているようだ。
映画中のチャーハンを作って出て行く母親のエピソードは本事件からのものだろう。

子宮に沈める[DVD]

デニス・レイダー

Dennis Lynn Rader

米国カンザス州ウィチタで1975〜1991年にかけて10件の殺人事件を起こした。
自らをBTK(Bind, Torture, Killの頭文字)と称して、地元の警察やマスコミなどに何度も犯行声明を送っていた。
2004年に送った犯行声明がきっかけとなり2005年2月に逮捕された。
2005年8月に175年仮釈放無しの終身刑(10回)の判決を受けた。

<概要>
デニス・レイダーは1945年にカンザス州ピッツバーグに生まれ、ウィチタで育った。
本人の証言によれば子供の頃から動物虐待や女性ものの下着への性的な興味を抱いていたという。

レイダーは4年間を空軍で過ごした後、ウィチタからも近い街に移り住み、結婚して二人の子をもうけた。
その後大学に入学し、卒業後はキャンプ用具の組立工を経て、1974年に警備会社に就職。警報器の設置などの仕事をするようになった。
この年からレイダーは犯行を重ねるようになるが、事件は彼の担当地域で起こっている。

最初の犯行はレイダーが警備会社に就職した年、1974年の1月15日に起きた。
被害者は30代の夫婦とその子供達の計4人で、死因はロープなどによる絞殺だった。
11歳の娘の遺体は裸にされて天井から吊されていたという。
同年4月4日、レイダー二度目の事件を起こし、21歳の女性を刺殺した。
その後はしばらく犯行を止めている。

この年の10月、地元メディアに犯行声明が届いた。
手紙には2月の一家殺人事件についての詳細が書かれており、明らかに犯人にしか書けない内容だった。
手紙の主は自らをBTKと称していた。これはBind(縛り)、 Torture(拷問し)、Kill(殺す)の頭文字を取ったものである。
これ以降、マスコミや警察には何度も彼からの手紙が届いている。

レイダーが次にに事件を起こしたのは1977年のことだった。3月と12月にそれぞれ女性一人を絞殺している。
12月の事件の際には犯行直後に自ら警察に通報するということまでしている。
また1985年4月に一人、1986年9月に一人女性を殺害した。
1990年、彼は野犬捕獲と法令遵守員の仕事を始め、逮捕されるまで続けている。
最後の事件は1991年1月19日のことで、被害者は62歳の女性だった。

これ以降、レイダーは犯行を行っていない。
BTK事件は2004年には捜査も一旦終了し、過去の未解決事件となった。

しかし、捜査が終了した年、レイダーは再び犯行声明を送りつけた。
これは1986年の事件についてのもので、写真や被害者の免許証のコピーなども添付されていた。
その後もBTKからのメッセージが次々に送られたが、逮捕のきっかけになったのは2005年にマスコミに届けられたフロッピーディスクだった。
解析の結果、データが作成されたのは市内の教会で、作成者は「Dennis」だと判明した。
これが手がかりとなり、2005年2月28日にレイダーは逮捕された。

逮捕後、レイダーは犯行を全面的に認め、これまでBTKの犯行とは考えられていなかった事件まで自供した。
10件の殺人容疑で起訴され、2005年8月18日に175年仮釈放請求が出来ない10回の終身刑を言い渡された(カンザス州は死刑廃止)。

<リンク>
Dennis Rader (wikipedia en)
レイダーは何度も犯行声明を送って世間に自分をアピールする劇場型犯罪の典型みたいな犯人。
捕まる前には善良な市民としてインタビューにも答えている(この映像は日本のマスコミ報道でも見たような覚えがある)。
アメリカではこの事件をモチーフにした映画がいくつかあるようだが、日本では未公開っぽい。

アナトリー・モスクビン

Anatoly Moskvin

2011年、ロシアのニジニ・ノヴゴロドにおいて遺体損壊の罪で逮捕された男。
墓から掘り出した少女の遺体複数を人形のように加工し、自宅アパートの一室に保管していた。
2014年現在、統合失調症で入院中。

<概要>
アナトリー・モスクビンはケルト語の研究を専門とする歴史学者で、博士号を持ち13カ国語を操るインテリだった。
10代の頃にある宗派の一風変わった埋葬儀式を目にしてから墓地に興味を持ったという。
地元では墓地の歴史に詳しい専門家として知られ、著作もあった。

子供の頃にレイプされたことがあり、少女の遺体に無理矢理キスさせられたという経験もあったらしい。
結婚はしておらず、両親とアパートで同居していた。

モスクビンは数年にわたり、墓から少なくとも150体以上の少女の遺体を次々に掘り起こして盗んでいた。
そして、アパートの自室に持ち帰り、ミイラ化した遺体にドレスやブーツを着せて化粧を施し、人形のようにして飾っていた。
彼は人形達に名前を付け、誕生日にはバースデーパーティを開いていたという。

逮捕されたのは2011年11月のことだった。
息子の異常な趣味に気付いた両親が警察に通報したことがきっかけだった。
逮捕時、アパートには29体の遺体があり、その他にも墓の写真、ミイラ作りのマニュアル本などが見つかった。

モスクビンは統合失調症と診断され、2014年現在も入院している。
なお、未だに裁判は行われていない。

<リンク>
EXCLUSIVE 'Evil bodysnatcher dug up my little girl's murdered body, mummified her corpse... then taunted me for ten years': Grieving mother relives nightmare of seeing beloved daughter turned into a human doll (DailyMail)
事件の概要と被害者家族へのインタビュー記事(英語)。
海外メディアなので画像、動画注意。

ペドロ・ロドリゲス・フィリオ

Pedro Rodrigues Filho

ブラジルで1973年に逮捕されるまで、約30年間に少なくとも71人を殺害した。
Pedrinho Matador(Pedrinho:ペドロの愛称、Matador:殺す人)の異名でも知られる。
2003年に懲役128年の有罪判決が確定。
2007年に釈放、2011年に再び逮捕。

<概要>
ペドロ・ロドリゲス・フィリオは1954年にブラジル · ミナスジェライス州サンタ・リタ・ド・サブカイの農家に生まれた。
彼は出生時から頭を負傷していた。父親が妊娠中だった母親の腹を殴ったことが原因だった。

フィリオが最初に事件を起こしたのは13歳の時だった。
相手は年上の従兄弟で、サトウキビ圧搾機に押しつけられて重傷を負った。
14歳の時、学校の警備員だった父親をクビにしたアルフェナスの副市長を殺害した。
クビになった理由は食堂の食品を盗んだと告発されたためだった。
この窃盗事件は冤罪だったらしく、彼は真犯人と思しき父親の同僚も殺害している。

サンパウロ州モジ・ダス・クルーゼスに逃亡したフィリオは強盗と麻薬ディーラーの連続殺人を始めたが、同棲していた女性がギャングに殺されてしまい、自身も逃亡を余儀なくされた。
彼は恋人を殺害した犯人を探すために殺人を重ね、18歳になる前には少なくとも10人は殺害している。
またこの頃、父親が母親を殺害するという事件が起きた。
フィリオは自ら父親を殺害し、心臓を切り出して投げ捨てたという。

1973年5月、フィリオは逮捕された。
刑務所内で彼は少なくとも47人の囚人を殺害している(後に本人が語ったところでは100人だそうだ)。

確認されただけで彼の被害者は71人に及ぶ。
2003年、フィリオは殺人罪で懲役128年の刑を宣告された。
刑務所内で殺人を続けていたために刑期は400年以上に伸びたが、ブラジルでは30年以上の収監を禁止している。
そのため、2007年4月24日に釈放された。
しかし、地元メディアが報じたところによると、2011年に再び逮捕されたという。
現在も収監中らしい。

<リンク>
Pedro Rodrigues Filho (wikipedia en)
被害者数が多い割に(ランキング4位)情報が少なくて正直よく分からない殺人犯。英語でもあんまり情報がない。
ポルトガル語の記事だともうちょっと情報が出ているが……。
なお、刑務所内での殺人は襲われたのを返り討ちにしていたというケースがどうやら多いらしい。
一例として5人が襲ってきたのでうち3人を殺害した、みたいなこともポルトガル語記事に出ていた。
ペドロ・ロペスの事件でも思ったが、南米の刑務所ってどうなってるんだ。

ゲイリー・リッジウェイ

Gary Leon Ridgway

1980〜90年代にかけて米国ワシントン州およびカリフォルニア州で少なくとも49人の若い女性を殺害し、遺体を遺棄していた。
被害者の遺体がグリーン川で見つかったことから『グリーンリバーキラー(The Green River Killer)』としても有名。
2001年にDNA鑑定が決め手となり逮捕された。
2003年に仮釈放なしの終身刑判決を受けた。

<概要>
ゲイリー・リッジウェイは1949年、ユタ州ソルトレイクシティで3人兄弟の次男として生まれた。
子供の頃のIQは82で、知的にはボーダーライン上にあった。
16歳の頃に6歳の少年を木の枝で刺して怪我を負わせたが、この時に人を殺すのは楽しいと思ったという。

高校卒業後には一度目の結婚。海軍に入隊し、ベトナムにも派兵された。
この頃から多数の売春婦と関係を持つようになり、淋病にも感染し、妻とは離婚した。
なお、その後も二度結婚しており、二度目の妻との間には息子も一人いる。

最初の犯行は1982年の7月8日だった。
被害者の遺体は7月15日、グリーン川に沈んでいる状態で発見された。
この7〜8月の間に、リッジウェイは少なくとも7人を殺害。
グリーン川で立て続けに遺体を発見した警察は、連続殺人犯がいることに気付いた。
当初はグリーン川付近だけが注目されていたが、川から離れた場所でも関連する遺体が複数見つかった。

死体遺棄現場が州をまたいでいたことなどもあり、捜査は難航。
犯行の多くは1982〜84年の間に行われているが(少なくとも42件)、それ以降も散発的に犯行は続けられていた。
1991年時点で49体の遺体が見つかり、1500万ドルの費用がつぎ込まれていたが、『グリーンリバーキラー』は逮捕に至らなかった。
この事件は史上最大の未解決事件として有名になり、嘘の自白をする者も現れた。
またテッド・バンディが捜査に協力を申し出たという話もある。

2001年、事件が発覚しておよそ20年が経った頃、科学捜査により事件は大きく動いた。
1982〜83年に殺された被害者らから検出された犯人のものと思われるDNAが、1987年に採取されたリッジウェイのDNAと一致したのだ。
この結果を受け、2001年11月30日、リッジウェイは逮捕された。
2003年12月18日、リッジウェイは48回の終身刑(仮釈放なし)の判決を言い渡された。

<リンク>
Gary Ridgway (wikipedia en)
Green River Killer: River of Death (crimelibrary)