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山地悠紀夫

2000年7月、山口県の自宅アパートで母親をバットで撲殺。
少年院を出所後の2005年11月、大阪で20代の姉妹の住むマンションの部屋に侵入、強姦して殺害した。
半月ほど後に逮捕。
一審で死刑判決を受けた。
弁護士らが控訴したが、本人が取り下げ、死刑判決が確定。
2009年に死刑執行。同日には前上博も死刑執行されている。

<概要>
山地は山口県出身。父親は建設業に従事、母親はパートで生計を立てていた。
母親の方は再婚で、離婚した元夫との間に子供が一人いたが、手元には引き取らなかったという。
親子三人の生活は厳しく、仕事で忙しい両親に代わり、父方の祖母が幼い山地の面倒を見ていたらしい。
父親はアルコール依存症で酔っては家族に暴力をふるっていたが、山地が小学生の頃に他界。以後、母親は一人で息子を育てた。
母親には買い物依存症の気があったらしく、生活は更に困窮した。
山地は小中学校でいじめられ、不登校気味だった。
中学卒業後は高校には行かずに新聞配達でアルバイトを始めた。
しかし、2000年7月、母親の借金や恋人との関係を邪魔されたという怒りから、山地は母親をバットで何度も殴り、殺害した。当時まだ16歳だった。
この事件により彼は少年院送致となる。しかし、山地は事件に対する反省の情を一切見せていない。
少年院の規律正しい生活は性に合ったらしく、彼はそれまであまり得意でなかった勉強に勤しみ、最終的にはいくつもの資格を取得した。

2003年に少年院を仮出所した後、山地は知り合いのつてでパチンコ店や露天商などで職を得た。
しかし、どの仕事は長続きはせず、最終的に山地はパチスロ機を不正操作して稼ぐ『仕事師』グループの一員になる。
当初は仲間とも上手くいっていた山地だったが、グループが稼げなくなると人間関係にも問題が出るようになった。
新たなる稼ぎ場を求めるグループに伴い、山地も福岡から大阪に移動した。

事件が起こったのはその直後だった。
山地はグループのアジトと同じマンションに住んでいた被害者姉妹に目を付ける。
2005年11月、山地は帰宅した姉を襲った。
山地は姉妹の部屋に押し入り、被害者を滅多刺しにして強姦した。
その後、妹が帰宅。山地は彼女にもナイフを振るった。
山地は姉妹の胸を刺してとどめを刺した後、財布などを盗んで逃走する。
半月後に逮捕され、「母親を殺した時のことが忘れられなかった」と動機を証言した。

<ノンフィクション>

我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人 小川善照 小学館

雑誌記者が取材を元に書いたノンフィクション小説。
事実を元に書かれているが、あくまでも小説仕立て。
ルポルタージュを期待して読んだら肩すかしを食らった。


死刑でいいです: 孤立が生んだ二つの殺人 池谷孝司 新潮文庫

共同通信の記者が山地の生育歴や事件の背景について追いかけた本。
山地本人に話を聞くことは出来なかったようだが、彼に関わる非常に多くの人々にインタビューしており、非常に読み応えがある。

なお、著者らはある種の精神障害が二つの事件の背景にあったのではないかと推察している。
この本によると、山地は高機能自閉症(いわゆるアスペルガー症候群)だったという(裁判では人格障害と診断された)。
現在の更正教育は反省に重点がおかれているが、山地のように反省のできない(「しない」ではなく、生来の障害により反省することができない)タイプの犯罪者相手には通用しない。
山本譲二『累犯障害者』(新潮文庫)にもあったが、人格障害や知的障害といったバックグラウンドのある犯罪者の中には、一般社会よりも規律正しく厳格なルールで行動を制限された刑務所の方がよほど居心地の良い人々が存在しているらしい。
彼らは障害により、一般社会では問題児扱いされる。しかし、刑務所のような環境だとかえって落ち着いて生活出来るという。
山地もこのタイプだった可能性がある。彼は落ちこぼれで高校にも進学しなかったが、少年院では勉学に励んで周囲にも一目置かれる成果を上げた。
そのような観点から、この本ではどうしたら山地が二度目の事件を起こさずに済んだか、あるいは彼に似たような背景をもつ人々が犯罪を犯さずに済むにはどうしたらいいか、を考察している。
過去に起こした事件に対する反省がなくても出所後二度と犯罪を犯さなければ、それで十分更正出来たといえるのではないか、という「反省なき更正」という考え方は興味深かった。