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ゲイリー・ギルモア

Gary Mark Gilmore

1976年7月、米国ユタ州でガソリンスタンドとモーテルで拳銃強盗を働き、従業員二名を殺害した。
同年の裁判で有罪となり死刑を宣告されたが、当時は世界的な死刑廃止の潮流により、執行が停止されていた。
ギルモアは死刑の執行を自ら求め、1977年、銃殺刑に処された。

<概要>
ゲイリー・ギルモアは1940年、アメリカ中を回って詐欺を働く父と敬虔なモルモン教徒だった母の間に生まれた。
四人兄弟の次男で、幼い頃から父からの家庭内暴力を受けていた。
高い知能と絵の才能を持ち合わせていたが、粗暴な性格や精神的な不安定さもあり、常に人間関係に問題を抱えていた。
十代の頃から窃盗や暴行などの非行を重ね、人生の大半を少年院や刑務所で過ごした。

1976年、強盗による服役を終えて仮釈放されたギルモアは、ユタ州プロヴォで親族の監視の下、再び社会生活を始めた。
彼は二人の子持ちで離婚歴のある女性と恋仲になり、二人で暮らし始めた。
しかし、ギルモアは恋人に暴力をふるい、酒に酔って暴れた。
恋人はすぐに愛想を尽くし、家を出て行った。
諦められないギルモアは彼女を連れ戻そうとしたが、やがて彼女は彼を避けるようになった。
そしてその年の7月19日、ギルモアは彼女の母親の家を訪ねた後、彼女の妹を連れてドライブに出た。
ドライブの途中、女性を残して車を出たギルモアは、ガソリンスタンドへと向かった。
彼は従業員の男性に銃を突き付けて小銭を出させ、這いつくばらせて頭部を二度撃った。
車に戻った彼はドライブインシアターに立ち寄り、その後モーテルに入った。
一緒にいた女性は酒とマリファナで酔っていたが、何かが起きたことには気付いており、怯えていたという。
その翌日、ギルモアは第二の事件を起こす。
親族の家の近くにあるモーテルに押し入り、従業員の男性を射殺し、手提げ式の金庫を奪って逃走した。
この様子は目撃されており、警察は逃亡を図ったギルモアをその日のうちに逮捕した。

1976年10月、ギルモアは二件の強盗殺人により有罪判決を受け、死刑の宣告を受けた。
しかし、この当時のアメリカでは死刑の執行を10年ほど停止していた。
そのため、死刑は実質終身刑と同等であった。
しかしギルモアは自らには死刑にされる権利があると主張、死刑の執行を求めた。
この異常事態はアメリカをはじめ世界中で報じられた。
賛否両論渦巻く中、一度は執行日が決まったが家族や死刑執行に反対する団体によって執行は行われなかった。
翌日、ギルモアは鎮静剤を大量に飲んで自殺を図った。
その後も彼は死刑執行を求め続け、12月にはついに最高裁が死刑執行延期命令を撤回した。
翌年1月17日、ギルモアは銃殺刑に処された。
なお、ユタ州では死刑執行方法に、絞首刑と複数の執行者による銃殺刑の二種類が存在する。
どちらかを決めるのは死刑囚本人で、この銃殺もギルモア本人の希望による。
この後、アメリカでは再び死刑の執行が行われるようになった。

<ノンフィクション>

心臓を貫かれて マイケル・ギルモア 文春文庫
末弟によって書かれたノンフィクション。
彼は音楽ライターで、嘘と虚飾と苦渋に満ちた家族の歴史、死刑執行に至るまでの葛藤、その後も続く苦しみを綴っている。
翻訳はあの村上春樹。
なお、この作者と存命の兄はギルモアの血を残さないため、子供を作らないと決めているそうだ。

この事件についてはノーマン・メイラーの『死刑執行人の歌』が現地では有名で、上の『心臓に貫かれて』でも何度となく取り上げられている。
日本でも翻訳が出ているが、どうも『心臓を貫かれて』が日本で話題になった後、急遽翻訳されたものらしい。

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