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小原保

1963年3月31日に東京都台東区入谷(現在の松が谷)で起きたいわゆる『吉展ちゃん誘拐殺人事件』の犯人。
当時4歳の男児を誘拐し殺害した。身代金50万円を受け取るも、遺体を荒川区の寺院の墓地に埋めた。
1965年7月4日に逮捕され、1966年3月に一審死刑判決、1967年10月に最高裁で上告棄却。
1971年12月23日に死刑執行。享年38。

<概要>
小原保は1933年に福島県の貧しい農家の10番目の子として生まれた。
10歳の頃に右足に骨髄炎を起こし、手術後には足が曲がって歩行に障害が出た。
14歳の頃からは時計職人として修行し、就職もしたが、病や人間関係のトラブルで職を転々とし、借金を重ねるようになる。

1963年、30歳になった小原は職を解雇され、借金返済に追われていた。
映画の予告編から身代金目的の誘拐事件を思い立った小原は、3月31日の夕方、台東区に住む建築業者の長男(当時4歳)を連れ去った。
そして、直後に被害者を殺害した。足が不自由という身体的特徴を持つ彼は、被害者を帰せばすぐに逮捕されてしまうと考えたためだった。
4月1日、警視庁は誘拐の可能性ありとして捜査本部を設置。マスコミと報道協定を結んだ。
4月2日、小原は被害者宅に身代金50万円を要求する電話を入れた。
数度電話でやりとりした後、4月6日に身代金の受け渡しが行われた。
被害者宅から300mほどの自動車販売店で、小原は警察の隙を突き、被害者の靴と引き替えに身代金の入った封筒を奪取した。

警視庁は公開捜査に切り替え、犯人からの電話を公開するなどして情報を募ったが、捜査は難航した。
1965年3月11日、警視庁は捜査本部を解散して、専従者による特捜班を設置した。
声紋鑑定などにより小原が浮上した。
当時、小原は誘拐事件後に起こした窃盗事件により懲役2年の実刑判決を受けており、前橋刑務所に収容されていた。
取り調べで小原はアリバイ(事件の前後は実家の福島に帰省していた)と無実を主張していた。
しかし、警察の地道な捜査の末、彼のアリバイを裏打ちする証言がないこと、事件直後の一週間に小原が42万円もの大金を支出していることなどを突き止めた。
矛盾を突き付けられた小原はついに犯行を自供し、1965年7月4日に営利誘拐・恐喝罪で逮捕された。翌日、彼の自供通りの場所から被害者の遺体が発見された。

1966年3月17日、一審で死刑判決が下るも控訴。
1966年11月29日、二審で控訴棄却。
1967年10月13日、最高裁で上告棄却され死刑確定。
1971年12月23日に死刑執行。享年38。

<ノンフィクション>
本事件は『戦後最大の誘拐事件』などともいわれており、現在でもテレビ番組等で時折取り上げられる。

誘拐 本田靖春 ちくま文庫

犯罪ノンフィクションの傑作ともいわれる一冊。1977年に書かれたやや古い本ながら、現在でも容易に入手できる。
過去にはドラマ化もされている。

佐々木嘉信 刑事一代―平塚八兵衛の昭和事件史 新潮文庫

小原を自供に追い込んだ昭和の名刑事・平塚八兵衛の回想録。本事件についても一章が割かれている。
地道なアリバイ捜査や取調室での小原との対決の下りはなかなか面白い。
2009年にドラマ化(小原役は荻原聖人、平塚役は渡辺謙)もされている。

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