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佐川一政

1981年6月11日にフランスのパリで発生したいわゆるパリ人肉事件の犯人。
被害者のオランダ人女性を射殺し、暴行した後に遺体の一部を食べた。
遺体を遺棄しようとしたところを目撃され、6月15日に逮捕された。
心神喪失で不起訴処分となった後、日本に帰国して精神病院に入院した。
その後は作家やコメンテーターとして活動している。

<概要>
佐川一政は1949年、兵庫県神戸市の裕福な家庭に生まれた。
未熟児として生まれ、腸炎を患ったりと虚弱体質だった。
内向的な性格で子供の頃から文学を好んでいた一方で、人肉食への興味も抱いていたという。
とりわけ白人女性への興味が強かったようで、大学時代にはドイツ人女性宅に人肉食目的で不法侵入し逮捕されている(示談により告訴取り下げ)。

1976年に関西学園大学大学院を卒業した佐川は、翌1977年にフランスのパリ第三大学大学院に留学する。
1981年6月11日、佐川は友人のオランダ人女性留学生(当時25歳)を自宅で射殺した。
彼は遺体を陵辱した後、遺体を解体、写真を撮影して、ふとももや胸などの肉を切り取って食べた。
二日後、佐川は遺体をスーツケースに入れてブローニュの森に遺棄しようとしたが、その現場を目撃され、事件が発覚。佐川は逮捕された。

逮捕後、佐川は犯行を自供したが、精神鑑定により犯行当時心神喪失状態だったと判断され、不起訴処分となった。
その後、精神病院に措置入院となった。なお、この時に唐十郎と交わした手紙は後に小説としてまとめられた。
1984年、佐川は日本に帰国し、精神病院に入院した。
日本での診察の結果、佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきだとされた。
フランスでの取り調べの最中、子供の頃に患った腸炎を通訳が脳炎と取り違え、誤った判断がされたのではないかとも指摘された。
日本の警察も佐川の逮捕を検討したが、フランス警察が捜査資料の引き渡しを拒否したため、彼が逮捕されることはなかった。

15ヶ月の入院の後、佐川は退院して、マスコミに有名人として扱われるようになった。
しかし世論の反感は大きく、父親は経営していた会社を退職、母親は神経症を患ったという。
その一方、佐川本人は小説家やコメンテーターとして活動を続けた。
1989年の宮崎勤事件の際は、猟奇犯罪の解説者として多くのマスコミでもてはやされた。
しかし2000年頃には仕事も途絶え、金に困るようになっていた。
2005年には両親が相次いで死去するが、死に目にも会えず、葬儀にも参列出来なかったという。
現在も作家として活動しており、時折メディアに取り上げられることがある。

<リンク>
佐川一政オフィシャルウェブサイト

<小説>

完全版 佐川君からの手紙 唐十郎 河出文庫

佐川との文通を元に描かれた小説。第88回芥川賞受賞作品。
最近芸人が知名度先行で芥川賞を受賞したと批判されていたが、この賞が話題性を重視するのは昔からのこと。

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