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西沢裕司

1999年7月23日に日本で起きたいわゆる全日空機ハイジャック事件の犯人。
羽田発新千歳行きのジャンボ機をハイジャックし、機長を殺害、飛行機を乗っ取った。
機は墜落寸前だったが、犯人は副機長に取り押さえられたため事なきを得た。
2005年3月、一審で無期懲役が確定した。

<概要>
西沢裕司は1970年に東京に生まれた。名門私立中学・高校を卒業し、一橋大学に入学した。
大学時代には羽田空港でアルバイトをしていたこともあり、就職の際は航空会社を希望していたがそれは叶わなかった。

大学卒業後は就職して寮生活を送っていたが、人間関係に問題を抱えて鬱病になり、1996年には寮を飛び出した。
自殺を考え半年ほど放浪した後、自宅に戻り、その後は家でゲームをするなどして過ごした。
特にフライトシミュレーションゲームを好んでいたという。

そんな中、西沢はインターネットで見つけた羽田空港の配置図から警備体制の欠陥に気付いた。
それは到着ロビーから出発ロビーに移動し、そのまま次の飛行機に乗れるというものだった。
西沢は航空会社や運輸省などに欠陥を指摘し、同時に自分を雇うように求める手紙を送った。
しかし要求は断られ、提言についても無視された。
苛立った西沢はとうとうハイジャックを計画した。

1996年7月22日、西沢は北海道行きの航空券を持って家を出た。
当初はこの日に決行する予定だったが、天気が悪いということで翌日に変更したという。
ホテルに宿泊して翌23日早朝、西沢は羽田空港に向かった。

午前6時、空港に着くと西沢はまず11時に出発する061便(後にハイジャックする航空機)のチェックインを済ませた。
その後、羽田発大阪(伊丹)行きに搭乗した。この際、西沢は手荷物預かりの荷物の中に凶器の包丁を隠していた。
伊丹空港に着いた西沢は羽田行きの便ですぐさま戻った。
羽田に着くと、西沢は預けた荷物を受け取り、通路を逆行して到着ロビーから出発ロビーへと移動した。以前指摘したものの無視された、あの欠陥を悪用したのだ。
こうして西沢は凶器を061便に持ち込むことに成功した。

午前11時25分、061便の離陸から2分後、西沢は客室乗務員に包丁を突き付け、操縦室へと押し入った。
副操縦士を外に出した西沢は機長に横田へ行け、伊豆大島方向へ行け、自分に操縦させろと要求した。
機長は方向はともかく、操縦させろという要求には応じなかった。
午後11時55分頃、西沢は機長を刺した。交信記録には機長の悲鳴が残っているという。

西沢が乗っ取った機体は急激に降下し、墜落寸前の危機を迎えた。
警報を聞いた副操縦士が操縦室の扉を蹴破り、西沢を取り押さえ、近くの座席に縛り付けた。
機長はすでに亡くなっていた。
午後0時14分、副操縦士の操縦で061便は無事羽田空港に到着した。
西沢はハイジャック防止法違反で逮捕された。

逮捕後、西沢は犯行動機として「ジャンボ機を自分で運転してみたかった」「レインボーブリッジをくぐりたかった」などと供述した。
2005年3月23日、一審で無期懲役の判決が下りたが弁護側は控訴せず、刑が確定した。

<リンク>
全日空機ハイジャック事件(無限回廊)

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