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ゴードン・ノースコット

Gordon Stewart Northcott

1920年代後半に米国カリフォルニア州で起きたワインヴィル養鶏場連続殺人事件(Wineville Chicken Coop Murders)の主犯。
被害者は少年ばかり20人で、誘拐されて養鶏場に監禁され、性的虐待を受けた後に殺害された。
遺体は養鶏場に埋められたり周辺の砂漠に遺棄されたりしたため、警察は骨片しか見つけられなかった。
1928年9月に逮捕され、翌年には死刑判決が下った。1930年10月に死刑が執行された。

<概要>
ゴードン・スチュアート・ノースコットは1906年にカナダのサスカチュワン州で生まれた。
1924年、ノースコットは両親と共にアメリカのロサンゼルスに移住し、ノースコットは父親にワインヴィルの土地を購入してもらい、養鶏場を建設した。

ノースコットは手伝いのためだと言って甥のサンフォード・クラーク(当時13歳)をカナダから呼び寄せた。
しかし養鶏場の手伝いは口実にすぎず、甥は性的虐待を加えられた。
ノースコットは甥だけではなく、多数の少年を養鶏場に連れ込んでは性的虐待をしていたが、基本的には加害後に解放していたようだ。
誘拐にはノースコットの母親サラ・ルイーズ・ノースコットも関わっていた。
しかし一方で20人ほどの少年を殺害し、消石灰で肉を溶かし、骨は牧場に埋めたり周辺の砂漠に遺棄したりしていた。
遺体の遺棄には甥も関わっていた。
なお、ノースコットには誘拐した少年を同じ趣味の金持ちに貸し出していたという疑惑がある。ただし、この噂を裏付ける証拠はない。

犯行が明らかになったきっかけは1928年8月、カナダから姪(クラークの姉)が訪ねてきたことだった。
彼女は弟から養鶏場で起きている事件について聞き、カナダへ帰国した後に通報した。
保護された甥は事件について証言した。
ノースコット母子はカナダに逃亡したが、1928年9月19日にカナダ警察によって逮捕され、同年11月30日にロサンゼルスに送り返された。

サンフォード・クラークは司法取引により起訴されなかったが、少年院送致された後、カナダに強制送還され、1991年まで生きた。
サラ・ルイーズ・ノースコットは1928年12月19日、終身刑の判決を受けた。彼女は12年後に仮釈放されたが、1944年に死去した。
ゴードン・ノースコットの裁判では1928年5月に行方不明になった兄弟とメキシコ人少年の誘拐、拷問、性的虐待、殺害についてのみが争われ、1929年2月13日、死刑判決が下った。
1930年10月2日、ノースコットの死刑が執行された。享年23歳。

<映画>

チェンジリング [Blu-ray]

映画『チェンジリング』はこの事件の被害者の一人であるウォルター・コリンズの母親、クリスティンの身に起きた悲劇を映画化したもの。
警察はウォルターを保護してクリスティンに引き渡したが、その少年は明らかに彼女の息子ではなかった。
クリスティンは警察に訴えたが、警察はまともに取り合うこともないどころか、彼女を異常者と決めつけて精神病院に強制入院させた。
後にノースコットが逮捕され、ウォルターの殺害を自白したことで、彼女は退院することが出来た。
なお、ウォルター殺害で有罪判決を受けたのはサラ・ルイーズだけで、ゴードンの裁判では争われなかった。

楊新海

Yang Xinhai

中国・河北省などで1999年から2003年にかけて少なくとも67人を殺害した連続殺人犯。
現地メディアからは『モンスターキラー』と呼ばれた。
2002年10月に逮捕され、2004年2月に死刑判決を受けた。
2004年2月14日に銃殺刑に処された。享年35歳。

<概要>
楊新海(ヤン・シンハイ)は1968年に河南省駐馬店市正陽県の貧しい家に四人兄弟の末弟として生まれた。
子供の頃は内向的だが賢い子だった。17歳の時に高校を中退、家を出て中国各地を転々としていた。
1998年、1991年、1996年にも窃盗や婦女暴行で逮捕歴があるという。

1999年頃から、ヤンは一連の連続殺人を起こすようになった。
きっかけは交際していた女性に振られたことだったという。
被害に遭ったのは河北省、山東省、河南省などの農家が主だった。
ヤンは深夜に被害者宅に忍び込み、斧やハンマーなどで一家を殺害し、女性に暴行を働いた。
その犯行は分かっているだけで26回にも及んだ。

2003年11月3日、ヤンは河北省滄州市で巡回中の警察によって逮捕された。
2004年2月1日に67人の殺害、10人の傷害、23回の婦女暴行により死刑判決を受け、同年2月14日に銃殺された。

<リンク>
Yang Xinhai (wikipedia en)

アハマド・スラジ

Ahmad Suradji

インドネシアで1997年に発覚した連続殺人事件の犯人。
1986〜97年の間に少なくとも42人の女性を殺害した。
動機は彼女らの死に際の唾液を飲むためで、そうすれば力のある呪術師になれると信じていた。
1998年4月、アハマドは死刑判決を受け、2008年7月に銃殺された。

<概要>
アハマド・スラジは1949年(1952年?)にインドネシアのメダン郊外で牧畜を営む両親の元に生まれた。
父親は呪術師でもあり、アハマドも父親から呪術を学んだ。
アハマドはイスラム教徒であり、三姉妹を妻として農業を営むかたわら、呪術師として近隣住民の相談に乗っていた。

1986年頃、アハマドの夢枕に亡き父が現れたという。
父親は息子に「死ぬ寸前の若い女性の唾を70人分飲めば優れた呪術医になれる」と告げた。
以降、アハマドは若い女性を殺すようになった。

アハマドは力のある呪術師として知られており、多くの女性が相談に訪れていた。
その多くは夫の浮気を防止したい若妻や客を呼び込みたい娼婦で、魔術を頼ることを周囲には内緒にしていた。
彼は狙いを定めた女性客の相談に乗り報酬を受け取った後、魔術を行うとしてサトウキビ畑に連れ出した。
そして彼女らを拘束して胸まで土に埋めて身動きを封じて絞殺し、その唾液をすすった。
殺害後、共犯の妻らとともに被害者の衣服を脱がし、遺体は埋めた。

事件が発覚したのは1997年4月27日のことで、サトウキビ畑で作業をしていた農夫が、偶然遺体を発見したことがきっかけだった。
被害者は21歳の女性で、出て行ってしまった夫が帰ってくるようにとアハマドの元を訪れたという。
逮捕されたアハマドは過去の事件についても告白した。
警察らの捜査により、サトウキビ畑からは42人分の遺体が発見された。

1998年4月27日、アハマドは死刑判決を受けた。
第一夫人も共犯として死刑判決を受けたが、後に終身刑となった。
2008年7月10日、アハマドの銃殺刑が執行された。

<リンク>
「死ぬ寸前の若い女の唾液をむさぼり吸うため」42人を殺害したスピリチュアル・ヒーラー!!  父から伝授された、残酷すぎる「儀式」とは?(TOCANA)

上田宜範

1992〜93年に発生したいわゆる大阪愛犬家連続殺人事件の犯人。
自称「犬の訓練士」で、犬の安楽死に用いる筋弛緩剤を使って少なくとも5人を毒殺した。
1994年1月に逮捕され、2005年12月15日に最高裁で死刑判決が確定した。

<概要>
上田宜範は大阪の裕福な酒屋の長男として生まれた。
高校卒業後、父親の援助で住宅販売会社を設立するが、ずさんな経営と社員による金の使い込みによって倒産した。
その後も事業を興したが失敗し、借金を重ね、ついには親からも勘当された。

1990年、上田は知り合いの男性にスナックの開店話を持ちかけ、金銭を搾取した後に殺害している。
警察の捜査では遺体が見つからず、立件は見送られたという。
同年、上田はレンタカーの共同経営話をもちかけ、知人らから数百万円を集めて持ち逃げした。
8月には逮捕され、実刑判決を受けた。

1991年に仮出所した上田は警察犬訓練所に出入りするようになり、見よう見まねで訓練術を覚えた。
以降、彼は「犬の訓練士」を名乗るようになった。
1992年、訓練所設立の名目で長野県塩尻市内に土地を借りた。
そして知り合った愛犬家らから出資金を騙し取っており、このトラブルが後の事件のきっかけとなる。

1992年5月、上田は以前勤務していた先の同僚男性と偶然出会い、口論となった。
翌月、上田はこの男性を呼び出して睡眠薬で眠らせ、筋弛緩剤を注射して殺害した。
筋弛緩剤は犬の安楽死用として入手していた物だった。
遺体は塩尻市の土地に埋めた。
以降、上田はほぼ同じ手口で次々と事件を起こす。

1992年7月、上田はアルバイト先で知り合った男性に塩尻市の土地でのアルバイト作業を持ちかけた。
男性はこのアルバイトを終えた後、殺害された。
この事件と同時期に、上田はもう一人殺害している。
被害者は犬の雑誌の文通欄で知り合った男性で、ペットショップの共同経営を巡るトラブルが動機だった。

翌1993年10月、上田は主婦二人を立て続けに殺害した。
この主婦らも共同経営を持ちかけられた上に多額の出資金を騙し取られている。
上田は10月26日にまず一人、3日後の29日にもう一人を殺害した。

彼女らの失踪がきっかけとなり、上田は複数の失踪事件に関わる容疑者として警察にマークされた。
1994年1月26日、上田は逮捕され、自供により5人の遺体が発見された。

裁判で上田は自白は警察による暴行によるものだと無罪を主張したが、1998年3月20日に一審死刑判決。
2001年3月15日、二審は控訴棄却。
2005年12月15日、最高裁が上告を棄却、死刑判決が確定した。

<リンク>
大阪愛犬家連続失踪殺人事件(無限回廊)

余談だが、この事件とほぼ同時期にあった埼玉愛犬家連続殺人事件はこの事件がきっかけでマスコミに取り上げられるようになったのだという。
無論この二つの事件は無関係なのだが、ペットビジネスに関わる人間が立て続けに事件を起こしたのには何かしら時代的な背景もあったのかもしれない。

アナトーリ・オノプリエンコ

Anatoly Yuriyovych Onoprienko

ウクライナで1989〜1996年にかけて52人を殺害した連続殺人犯。
現地では『ターミネータ』『The Beast of Ukraine』『Citizen O』のあだ名でも知られる。
終身刑を宣告され、2013年に獄中で病死した。享年54。

<概要>
アナトーリ・オノプリエンコは1959年にウクライナのジトームィル州ラスで二人兄弟の二男として生まれた。
4歳の頃に母親が死去したため、祖父母と叔母の世話になっていたが、後に孤児院に送られた。
彼は父親が兄だけを手元で育てたことを恨んでいた。

1989年、オノプリエンコは最初の犯行を行う。
彼が狙ったのは周囲に他の家がない一軒家で、家に押し入ると一家全員をショットガンなどで殺害。
金品を強奪した後、更に別の家に押し入ってそこでも同様の犯行を行った。被害者は10人にも及んでいる。
なおこの最初の事件では共犯者がいた。

オノプリエンコの犯行パターンは、周囲から孤立した家に押し入って一家を殺害、金品を強奪した後に放火して証拠を消すというのものだった。
1989年12月には二度目の事件を起こして5人を殺害。
1995年12月に三度目の事件、被害者は一家4人。
1996年1月には一ヶ月間に四度、2月には二度の事件を起こしている。
オノプリエンコは襲った家の住人だけでなく、目撃者も殺害している。
最後の事件は1996年3月のことで、一家4人が殺害されている。

オノプリエンコが逮捕されたのは1996年4月のことだった。
親戚の家に引っ越した際に凶器のショットガンなどが見つかり、それがきっかけとなって逮捕された。
なお、この直前には26歳の青年が誤認逮捕され、拷問によって死亡している。

オノプリエンコは死刑を回避(ウクライナは欧州評議会への加入により死刑を廃止した)、終身刑を宣告された。
2013年8月27日に心不全で死去。享年54。

<リンク>
Anatoly Onoprienko (wikipedia en)