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ジョン・ウェイン・ゲイシー

John Wayne Gacy

1972〜78年にかけて、米国イリノイ州シカゴで少なくとも33人を殺害した連続殺人犯。
事業で身を起こし、地元の名士としてチャリティー活動をする一方で、十代後半から二十代前半の青少年達を暴行して殺害した。
1978年に逮捕され、1980年に33件の殺人などの罪で死刑を宣告された。
1994年5月10日に薬物による死刑執行。享年52。

<概要>
ジョン・ウェイン・ゲイシーは1942年にイリノイ州シカゴのポーランド系移民の機械工の家庭に生まれた。
父親は厳格かつ高圧的で、一人息子であるゲイシーを肉体的、精神的に虐待した。
ゲイシーはパニック障害や心臓発作をたびたび起こし、治療のため高校を落第した。父親はそんな息子の状態を意に介さず、親の気を引きたいだけと笑ったという。

1962年、ゲイシーは父と口論してラスベガスへ家出をした。その後、葬儀屋でアルバイトをしていたが、三ヶ月が経った頃、母親が迎えに来てシカゴに戻った。
帰郷後、彼はビジネススクールに通い、靴のセールスマンとなった。ゲイシーは抜群の成績を上げ、若くしてエリアマネージャーとなった。
その一方で青年会議所でも優秀な販売実績を上げ、第一部長にも就任している。
1964年には実業家の娘と結婚し、義父の所有していたケンタッキーフライドチキンのフランチャイズ店の経営を任された。
ボランティア活動も精力的に行い、人望厚かった彼は青年会議所の次期会頭候補とまで言われるようになった。
父親に認められたいという一心による努力のたまものであった。

しかし、1968年、ゲイシーは少年への性的虐待で告発され、逮捕された。
彼の同性愛的傾向は靴のセールスマン時代からのものだった。初めて男性と関係を持った時は嫌悪感と恐怖に打ちのめされたゲイシーだったが、やがて自分の店で働くアルバイトの少年らに手を出すようになっていたのだ。
この一件でゲイシーは妻子も築き上げてきた地位も名声も一旦失った。服役中には父親も死去した。
一方で、収監中に高校卒業の資格を取り、大学の通信教育で心理学などの単位も取った。模範囚であった彼は懲役10年の判決にもかかわらず、たった16ヶ月で出所した。

1970年、ゲイシーは出所するも、わずか半年で再び少年への暴行容疑で逮捕された(ただし、この一件は不起訴となった)。その後、彼はパーティーなどで少年を漁るようになった。
その一方、彼は貯金をしながら新しい事業の計画を練り上げていた。1971年にはノーウッド・パーク近くに家を購入し、この家を拠点に室内装飾や増改築を行う会社を始めた。

そんな最中の1972年1月2日、ゲイシーは最初の殺人事件を起こす。
被害者は16歳の旅行中の少年だった。早朝、キッチンナイフを手にした被害者を見てパニックを起こした彼は、格闘の末に相手を刺殺してしまった。
少年はサンドイッチを調理中で、ナイフを持ったまま彼を起こそうとしただけだった。
混乱したゲイシーは遺体を床下に隠した。

敏腕セールスマンの腕前は健在だったようで、会社の経営はすぐに軌道に乗った。
1972年には高校からの知り合いである女性と結婚し、地元の名士として名を馳せるようになっていく。
休みの日にはピエロの『ポゴ』に扮して、福祉施設を訪れるなどチャリティー活動も積極的に行った。
地元の民主党のメンバーにもなり、当時の大統領夫人ロザリン・カーターと握手する写真も残されている。

二度目の殺人は1974年1月のことだった。被害者は身元不明の10代の少年で、首を絞めて殺害した。
1975年7月29日には三度目の事件を起こしている。被害者は17歳の少年で、会社のアルバイトだった。
遺体は自宅の床下に埋めた。

1976年2月、妻子が家を出ていき、3月には離婚が成立した。
以降、ゲイシーは常習的に少年達を殺害するようになる。
手口はおおよそのところ同じで、ポルノを見せると言って自宅地下室に連れ込み、手錠で拘束して脅迫しながら性的に暴行を加え、その後ゆっくりと絞殺するというものだ。
遺体の口に被害者自身の下着を詰めてから床下に埋葬し、その上に石灰や塩酸を撒いた。
ゲイシーはほぼ毎月のように凶行に及び、時には同じ日に二人を殺害したこともあった。
1976年に13人、翌77年には11人、逮捕された78年にも5人を殺害している。

ゲイシーが逮捕されたのは1978年12月のことだった。警察はかねてより彼に目を付けていたが、ゲイシーは自らの名声と法律知識を駆使してのらりくらりとかわし続けていた。
警察は麻薬不法所持の現行犯で彼を逮捕、自宅の強制捜査を行った。
ゲイシーの家は異様な臭気に覆われており、床下からは腐敗した29体の遺体が見つかった。
供述により、床下が遺体で一杯になったため、最後の被害者4人はデスプレーンズ川に捨てたことも明らかになった。
なお、見つかった遺体のうち、身元が判明しているのは25体のみである。現在も残る遺体の身元調査が続けられているという。
彼の被害者は現在判明している以外にもいると見られている。

1980年、ゲイシーは33件の殺人などの罪で死刑を宣告された。
1994年5月10日、薬物による死刑が執行された。この際、何か不手際があったらしく、ゲイシーは20分近く苦しんで絶命したという。
担当検事は「被害者の受けた苦痛に比べれば大したことはない」とコメントした。

<リンク>
John Wayne Gacy (Wikipedia En)

<ノンフィクション>
ゲイシーは超有名なシリアルキラーなので、FBI心理分析官とかいろんなところで扱われている。
その中でもちょっと特殊なのがこれ。

「連続殺人犯」の心理分析 ジェイソン・モス 講談社

筆者は少年時代に、ゲイシーを始めとして獄中にいる多くの連続殺人犯と文通していた。そのやりとりを載せているのが本書。
彼は獄中のゲイシーと面会し、殺されかけた。そのため『最後の犠牲者』として一躍有名になった。
なお、筆者は大変優秀で後に弁護士になったが、若くして自殺している。

<フィクション>
アメリカではピエロ恐怖症(Coulrophibia)というのが結構メジャーらしい。
その元凶の一つはおそらく本事件(ゲイシーはピエロの扮装を好んだことから『Killer Clown(殺人ピエロ)』と呼ばれた)である。ゲイシーの描いたピエロの自画像は高値で取引されている。
そして『凶悪なピエロ』のイメージを増幅させ、メジャーにしたのが、スティーブン・キングのITなんだとか。

IT スティーブン・キング 文春文庫

本書に出てくる不気味なピエロ・ペニーワイズはゲイシーをモデルにしていると言われている。

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