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ヴァシリ・コマロフ

Vasili Komaroff
Terent'evich Vasily Petrov(こちらが本名らしい)

1921〜23年にかけて、ロシア・モスクワで起きた連続殺人事件の犯人。当時『モスクワの狼 (The wolf of Moscow)』として知られた。
少なくとも33人を殺害し、遺体は袋詰めにして遺棄していた。
1923年3月18日に逮捕され、同年6月18日に銃殺刑に処された。享年51。

<概要>
ヴァシリ・ペトロフは1877年にヴィーツェプスク(現在のベラルーシ)の労働者一家に生まれた。家族はアルコール依存症で、ペトロフも15歳で飲酒を始めた。
ロシア帝国軍で4年間兵役に就いた後、28歳で結婚した。
日露戦争時に大儲けしたが、極東へ旅行してすぐに浪費してしまった。その後、軍の倉庫に盗みに入って1年間投獄されたが、その間に妻がコレラで亡くなった。
出所後、ペトロフは子連れの女性ソフィアと再婚する。
彼は人当たりのよい人物であったが、酔っ払うと妻子に暴力を振るった。

1917年の十月革命の後、赤軍に加わったペトロフは白軍により捕虜にされた。解放後は裁判から逃れるため、ヴァシリ・コマロフを名乗るようになった。
1920年、コマロフはモスクワに移住し、馬の売買を生業にする一方、窃盗を重ねて盗品を売りさばいていた。

1921年2月、コマロフは最初の殺人を行った。被害者は男性で、値切られて激高したコマロフにハンマーで撲殺された。
以降、コマロフは次々と強盗目的の殺人を重ねるようになった。1921年に少なくとも17人、翌1922年には少なくとも12人を殺害している。
被害者は絞殺もしくは撲殺され、ローストチキンのように縛られて袋詰めされてゴミ捨て場や厩舎の裏に埋められた。
遺体が見つかるのは馬の競市が開かれる木曜日か土曜日で、警察は犯人としてコマロフをマークしていた。
そして1923年3月18日(17日?)、最後の犠牲者を殺害した直後にコマロフは逮捕された。

自供によると、コマロフが殺害したのは少なくとも33人(全て男性)に及んだ。いずれも強盗目的だったが、盗めた金は一件につき1ドルにも満たなかったという。
裁判で銃殺による死刑判決が下り、1923年6月18日に処刑された。
なお、彼の妻ソフィアも共犯により有罪となり、夫と同日に処刑されている。

<リンク>
Vasili KOMAROFF (Murderpedia 英語)
ヴァシリ・コマロフ(wikipedia ロシア語)

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