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ペドロ・ロペス

ペドロ・アロンソ・ロペス Pedro Alonso López
別名:アンデスの怪物
1980年に逮捕されるまで、南米各地で300人以上の少女を暴行して殺害した。
判決は懲役16年。
1994年に釈放されて精神病院に入院するも、1998年に病院を出て以後行方不明。

<概要>
ロペスは1948年に娼婦の子として生まれた。
8歳の時、ロペスは妹にいたずらして家を追い出され、拾ってくれた男に廃墟でレイプされた。
ストリートチルドレンとして暮らしていたが、12歳の頃、アメリカ人一家に拾われ孤児院に入る。
しかし、男性教師から性的虐待を受けた彼は孤児院を脱走した。

その後、窃盗などで食いつないでいたが、18歳の時自動車を盗んで刑務所に入った。
この刑務所で、ロペスは囚人らから集団暴行を受けるが、報復として犯人らを殺害した。

出所後、ロペスはコロンビア、エクアドル、ペルーで少女らを殺害し始めた。
動機は「自分がされたのと同じことを沢山の少女達にしてやろう」というものだった。
彼が狙ったのは自分と同じ先住民の少女達だった。
市場で声をかけて人気のないところに連れ出し、強姦して絞殺した。

警察は少女が次々に姿を消していることに気付いていたが、先住民への差別意識と白人による奴隷売買組織の犯行という思い込みのため、ロペスにたどり着くことはなかった。
彼はペルーで犯行を重ねていた時、一度警察に捕まったことがある。
少女を連れ去ろうとしたところを見とがめられ、リンチに遭っていたところを警察に保護されたのだ。
しかし、犯行が露見することはなく、ロペスは国外追放されただけだった。

1980年、ロペスはエクアドルで連れ去ろうとした少女の母親に騒がれ、警察に突き出された。
彼は当初犯行を否定していたが、囚人に扮した警察官に殺人の自慢話をしてしまったことから、その凶行が露見した。
信じがたい告白に当初は疑っていた警察も、ロペスが示した場所から53人もの少女の遺体を発見し、ことの重大さを理解した。

判決はエクアドルの最高刑である終身刑だった。
しかし、法律により16年の刑期で保釈されたロペスはコロンビアに引き渡された。
ロペスは精神病院に収監されたが、1998年、わずか50ドルの保釈金で保釈された。
その後も新たな殺人容疑で逮捕状を出されているが、彼は行方不明となっている。
一説には犠牲者遺族に殺害されたとも。

被害者数は現在でも世界第2位といわれる(参考:ランキング)。
ちなみに現在のトップは同じくコロンビアのルイス・ガラビートとみられる。

<ノンフィクション>

連続殺人紳士録 ブライアン・レーン 中央アート出版

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