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アレクサンドル・ピチュシキン

Alexander Yuryevich Pichushkin
ロシアのモスクワにあるビツァ公園で、1992年から2001年の間に少なくとも49人を殺害した。
2007年、49件の殺人と3件の殺人未遂で終身刑に処された。
別名:ビツァ公園の狂人(The Bitsa Park Maniac)、チェスボードキラー(The Chessboard Killer)

<概要>
ピチュシキンは1974年4月9日にモスクワ州ムィティシに生まれた。
幼い頃は社交的だったらしいが、事故で頭を打ってから激しい感情や攻撃性のコントロールが苦手になったという。
彼は学習障害のある子供のための学校に通ったが、普通の子供達からは馬鹿者扱いされいじめを受けた。
一方で、祖父は彼が高い知能を持っていることに気づいた。
学校ではその才能が無駄にされると考えた祖父は、ピチュシキンを自宅に連れ帰り教育を施した。
そこで彼はチェスに熱中するようになり、めきめきと腕を上げ、ビツァ公園で行われるチェス大会に参加するようになった。
相変わらずいじめを受けていたが、彼は自分なりに社会参加する術を見つけていた。
しかし、祖父の死で状況は再び悪い方へと変化してしまった。
母親の家に戻ることを強いられ、祖父の死に打ちのめされた彼は、やがて大量のウォッカを飲むようになった。
酒浸りになりつつチェスを打っていた彼は、やがて邪悪な考えにとりつかれるようになった。

1992年、ピチュシキンは最初の事件を起こした。
彼のターゲットは主にホームレスだった。
被害者にウォッカを勧めて酔わせた後、ハンマーでその頭を砕き、最後にはウォッカのボトルを突き刺してとどめを刺した。
当初は年配者を狙っていたが、やがて子供や年若い男女もその対象となっていった。
死体は公園の下水道に流していた。
最後の犯行は2006年春のことだった。被害者は36歳の女性で、彼女の持っていた地下鉄の切符が事件解決の糸口となった。
地下鉄の防犯カメラに被害者と一緒に歩くピチュシキンが映っていたのだ。

かくして2006年6月15日、ピチュシキンは逮捕された。
彼は自分が生きるために人を殺したと語った。人を殺す時、自分が神であるかのように感じたという。
更にはチェスボードのマス目と同じ64人殺すつもりだったと供述した。
本人が主張するところでは、計63人を襲い、そのうち60人を殺害したという。
逮捕されなかったらもっと沢山殺しただろうとも語っている。
メディアは彼をチェスボードキラーと呼び、アンドレイ・チカチーロに影響されたのだろうと報じた。
2007年、49件の殺人と3件の殺人未遂で終身刑が確定した(ロシアには死刑制度が存在するが、実質廃止されているという)。
なお、最初の15年間は独房で過ごすという。

<リンク>
Wikipedia (en)

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