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アナトリー・スリフコ

Anatoly Yemelianovich Slivko

ソビエト連邦ネヴィンノムイスク周辺で、1964〜1985年にかけて十代の少年7人を殺害した連続殺人犯。
彼は43人の少年に『実験』と称して首を吊らせ、その様子を映像や写真に残していた。
1985年に逮捕され、翌年に死刑判決を受けた。
1989年に銃殺された。

<概要>
スリフコは1938年にソビエト連邦ダゲスタン自治区に生まれた。
1961年、当時23歳の彼は交通事故で亡くなったピオネール(ソビエト連邦のボーイスカウト組織)の少年の無残な遺体を目撃した。
以降、彼はピオネールの制服を着た少年の遺体や炎とガソリンの燃える臭いに性的な興奮を覚えるようになった。

スリフコは映像作家としての名声や自ら経営していた少年クラブを利用し、10代の少年達と親しい関係を築いた。
彼は年齢の割に背が低い少年達を「背を伸ばす方法がある」と言葉巧みに連れ出した。
そして、背骨を伸ばす『実験』と称して気を失うまで彼らの首を紐で吊った。

21年の間にスリフコは実に43人の少年に『実験』を行った。
彼は気を失った少年を愛撫し、マスターベーションを行った。
なおスリフコはその様子を撮影しており、現在でもその一部をネットで見ることが出来る。
彼は少年達に「蘇生させる」と約束しており、実際43人中、36人は意識を取り戻している。
しかし、7人は意識を取り戻さなかった。

最初の殺人は1964年のことだった。
被害者は15歳くらいのホームレスの少年で、スリフコによれば故意の殺人ではなかったという。
彼は蘇生を試みたが、被害者が意識を取り戻すことはなかった。
スリフコは遺体を切断し、ガソリンで燃やした。かつて目撃した事故を再現するかのように。
彼は被害者の靴を戦利品として持ち帰った。
なお、この第一の殺人のフィルムは破棄したという。
その後、1973年に第二の殺人、1975年に第三の殺人を犯した。
第三の事件の被害者は11歳の少年で、この行方不明事件の捜査線上にスリフコが浮かんだが、彼が地元では有名な映像作家だったことから追求を免れている。
続く1980年、1982年にも事件を起こし、1985年7月に最後の殺人を犯した。
最後の犠牲者は13歳の少年で、やはりスリフコの少年クラブ"Chergid"のメンバーだった。
この事件の捜査でスリフコは容疑者として再度浮かび上がった。
彼のクラブに所属する少年達の多くに一時的な記憶喪失があることや彼の『実験』についてつかんだ検察官は、長い尋問の末、1985年12月にようやくスリフコを逮捕した。
翌年には第一の犠牲者を除く6人の遺体が発見され、死刑判決を受けた。
1989年、スリフコは銃殺刑に処された。

なお、処刑の直前、スリフコは当時捜査中だったロストフの絞殺魔(アンドレイ・チカチーロ事件)について助言を求められたという。
スリフコは、犯行は通常の性的興奮や満足感を得られないことに起因すると考えていたという。
性犯罪者には絶え間ない空想があり、犯罪計画を立てること自体にも満足感があると述べたという。
彼のアドバイスは捜査の実質的な役には立たなかった。
しかし、スリフコがこのインタビュー中に示した二つの心理——少年達を殺害する心理と子供の前での飲酒に道徳的な怒りを感じる心理——は、犯罪者が自分の真実の性向を隠して生活している可能性を示唆していた。

<リンク>
殺人博物館〜アナトリー・スリフコ
スリフコが撮影した映像のレビューが読ませる。動画へのリンクもあり。

Wikipedia (En)

The crime library Andrei Chikatilo
アンドレイ・チカチーロの記事(英語)。この事件に関するスリフコの見解について触れられている。

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