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ゾディアック事件

1968〜74年に米国サンフランシスコで起きた未解決の連続殺人事件。
犯人は地元メディアなどに犯行声明を送り、自らをゾディアック(Zodiac:黄道十二宮の意)と呼んだ。
確認されているだけで5人が殺害されているが、本人による犯行声明文によれば37人殺害しているという。
1978年に最後の犯行声明文を送って以降、姿を消した。

<概要>
最初の事件は1968年12月20月に起きた。
湖の近くに停車していた車が襲われ、車内にいた17歳の少年と16歳の少女が射殺された。

二度目の事件は翌年の7月4日のことで、やはり車でデートをしていた19歳と23歳のカップルが襲われた。
停車中だったカップルの隣に一台の車が近づき、降りてきた男は二人に向かって発砲し、再び車に戻って逃走した。
犯人は自ら警察に電話をかけ、起こしたばかりの事件について通報した。更に半年前の事件についても自らの犯行だと告げた。
この事件でカップルの男性は重傷、女性は病院到着時に死亡した。

一月後の8月1日、地元紙に犯行声明文が届いた。
犯人は自らをゾディアックと名乗り、犯人にしか知り得ないことを書き記していた。
手紙には暗号文が同封されており、解読すると犯人が人殺しを楽しんでいること、そしてまだ犯行を続ける旨が記されていた。

そして9月27日、第三の事件が起きる。
被害者(20歳の男性と22歳の女性)は湖の湖畔で食事をしていたところを覆面を被った襲われた。
男の胸には○に十字のマークが描かれていた。これは犯行声明文にも描かれていた図形である。
男は二人に拳銃を突き付け、金を出すように要求し、怯える二人を縛り上げた。
男は被害者達をめった刺しにし、二人の車にマークと以前の事件の日付を書いて立ち去った。
犯人はまたもや警察に通報を入れた。駆けつけた警察よって二人は救助されたが、女性の方は二日後に死亡した。

第四の事件はそのすぐ後に起きた。10月11日、タクシー運転手の男性(29歳)が客に射殺された。
犯人は運転手の財布を抜き取り、シャツを引き裂いて自分の指紋を拭きとった。
数日後、またもや犯行声明文が送られた。手紙には被害者のシャツの切れ端が同封されていた。

10月20日、ゾディアックは警察に電話をかけてきた。
彼は犯人しか知らないことを語った後、自首すると告げた。
しかし、それには条件をつけた。それは有名な弁護士をつけることとテレビのトークショウに出演することだった。
名指しされた弁護士は依頼を快諾した。そしてトークショウも放映された。
ゾディアックと名乗る男性が番組に何度か電話をかけてきたが、その声は以前警察に電話をかけてきた男とは別人のようだった。
弁護士はゾディアックに自首を勧め、会う約束を取り付けた。
しかし約束の日、ゾディアックは現れなかった。

その後、ゾディアックからは何度か犯行声明が送られている。手紙に書かれる被害者の人数は増えていたが、警察はその犯行を確認していない。
1974年、サンフランシスコ市警に届いた犯行声明文には37人殺した、と書かれていた。

その後1978年にもゾディアックを名乗る手紙が届いたり、ゾディアックと疑われる人物が逮捕されたり(後に別人と判明)などもあったが、2015年現在も未解決である。

なお、1990年代にはニューヨークで模倣犯による事件(リンク先は英語版wikipedia)が起きている。

<ノンフィクション>

ゾディアック ロバート・グレイスミス ヴィレッジブックス

この事件は1997年の神戸連続児童殺傷事件(いわゆる酒鬼薔薇事件)でも関連を指摘された(犯行声明文に例のマークが描かれていた。本事件の英語版Wikipediaにも記載あり)ので、あの当時日本でも結構取り上げられた。
当時も何冊か翻訳書が出ていた気がするが、今手に入るのは本書だけかも。

<映画>

ゾディアック ディレクターズカット [Blu-ray]

デビット・フィンチャーによるサスペンス映画。
疲れるけど面白い。

柴又三丁目女子大生殺人・放火事件

1996年9月9日に東京都葛飾区柴又で発生した殺人・放火事件。
被害者は当時21歳の女子大学生で、犯人は被害者を殺害後、放火して逃走した。
2015年現在未解決。捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)の対象事件。

<概要>
事件が起きたのは1996年9月9日、東京都葛飾区柴又の木造一戸建て住宅だった。
住宅には夫婦と娘二人が住んでいたが、事件当時は21歳の次女のみが在宅中だった。
午後3時50分頃、母親が仕事のため外出した。
その後、隣家から火災の通報があった午後4時39分までの49分間に、犯人は住宅に侵入し女性を殺害して放火した。

被害者の遺体は二階の両親の部屋で発見された。
彼女は口を塞がれ、両手・両足を縛られており、首を数カ所切りつけられて失血死していた。
両手には抵抗した際に出来たと見られる切り傷が多数あった。
着衣の乱れや暴行された形跡はなく、遺体には夏掛けの布団が被せられていた。

犯人については顔見知り(被害者が犯人を招き入れた可能性がある)、ストーカー(被害者は2日後から留学に行く予定だった)、強盗(引き出しが荒らされて1万円が盗まれていた。しかしトラベラーズチェックなどは手つかず)など諸説ある。
布団に付着していた血液からDNAが検出されており、粘着テープからは複数の犬の毛が見つかっている。
また、両足はからげ結びという特殊な結び方で縛られていた。

捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)により、有力な情報には800万円の懸賞金がかけられている。
2015年2月現在、未解決。

<リンク>
49分間の空白〜柴又三丁目女子大生殺人・放火事件(警視庁)

<ノンフィクション>

殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件 「新潮45」編集部 新潮文庫

ヒンターカイフェック事件

Hinterkaifeck Murders

1922年3月31日にドイツで起きた一家惨殺事件。
ヒンターカイフェックという小さな農場で、一家5人と使用人1人がつるはしで殺害された。
警察の捜査の甲斐なく、現在も未解決。

<概要>
ヒンターカイフェックは63歳の男性とその一家が営む小さな農場で、ミュンヘンから北へ70キロほどのヴァイトホーフェン近郊にあった。
農場に住んでいたのは主人とその妻(72歳)、夫妻の娘(35歳)とその子供2名(7歳の女の子と2歳の男の子)、そして事件当日にやってきたばかりの使用人の女性(45歳)の6人。
一家は変人として知られ、特に主人はケチとして有名だった。
また、孫の男の子は主人の実子(つまり実の父娘の間に生まれた)ではないかという噂も立っていた。

事件が起きたのは1922年3月31日の夕方から翌日未明とみられる。
夫妻と娘と孫娘は母屋とつながった納屋に一人ずつ呼び出されて殺害されたと考えられている。
使用人ともう一人の孫は自室で殺されていた。

事件が発覚したのは翌週の4月4日のことだった。
一家の姿を見かけないことを不審に思った近隣住民らが農場を訪れ、施錠されていた扉を破り、一家の遺体を発見した。

犯人は数日前から屋根裏に潜んでいたとみられる。
事件後の捜査で、屋根裏に人がいた形跡が残っていた。
事件前、主人は怪しい足跡を発見したり、屋根裏部屋で足音を聞いたりしたことを話していたという。
また、犯人は事件の後にも現場の家にとどまっていたようで、台所に食事の後が残っていたり、家畜に餌が与えられていたりした。

警察は懸賞金をかけて大々的に捜査した。
当初は強盗目的と見られていたが、現場には多額の現金が残されていた。
また怨恨の線でも捜査は難航した。
結局、現在に至るまで犯人は明らかになっていない。

1923年、事件現場の農場は取り壊された。この時凶器のつるはしが屋根裏部屋から発見された。
現在、被害者らが眠る墓地には事件の記念碑が建っているという。

<小説>

凍える森 アンドレア・M・シェンケル 集英社文庫

この事件を元に書かれた小説。
映画(『Tannöd』)も制作されたようだが、日本では多分未公開。

『餃子の王将』社長殺人事件

2013年12月19日に京都市山科区で起きた殺人事件。
被害者は王将フードサービス代表取締役社長の男性(当時72歳)。
2014年12月現在、未解決。

<概要>
2013年12月19日早朝、京都市山科区の王将本社前で社長の大東隆行氏が倒れているところを発見された。
被害者は午前5時半頃に車で出社し10分程で現場に到着したと思われ、5時45分頃に銃撃されたと見られている。
犯人はバイクで現場から逃走した。
被害者は通報により病院へ搬送されたが死亡が確認された。

被害者は至近距離から拳銃で4発撃たれており、失血により死亡したとみられている。
犯行に使われたのは25口径の自動式拳銃だった。
しかし、殺傷力は弱いために殺害目的で使用する場合は、至近距離から急所を撃たなければならないという。
4発の銃弾は全て急所に命中しており、プロの犯行と考えられている。

捜査本部などへ多数の情報提供があったが、未だ犯人は捕まっていない。

<ノンフィクション>

餃子の王将社長射殺事件 一橋文哉 角川書店

事件のルポ、というよりは王将フードサービスにまつわる『闇』について取材した本。
事件発生当時から中国マフィアによる暗殺という報道があったが、それを更に掘り下げたもの。
創業者一族の過去や中国進出に関わる闇社会との関係などがまとめられた一冊。

札幌男児誘拐殺人事件

1984年1月10日、札幌市豊平区の当時9歳の男児一人が行方不明になった事件。
1988年、新十津川町の農家の納屋から子供の骨が見つかり、1998年にDNA鑑定により被害者のものと判明した。
女性一人が逮捕されたが、彼女は犯行を否認、黙秘を通した。
2001年5月30日、一審で無罪判決。
検察は控訴するも、2002年に控訴棄却。検察は上告を断念。

<概要>
1984年1月10日の朝、札幌市豊平区の資産家宅に一本の電話がかかってきた。
受けたのはその家の次男で小学校四年生の男児で、彼はワタナベさんの家に行くと言い残して自宅を後にした。
心配した兄が後を追いかけたが見失ってしまった。
兄が少年を見失った地点からほど近いアパートには「ワタナベ」姓の母娘が住んでいた。
母親の方は少年が訪ねてきたが、彼の探す「ワタナベ宅」ではないと教えたら帰って行ったと証言した。
これ以降、少年は行方不明となった。

1987年12月、新十津川町の農家で火災が起き、家主の男性が死亡した。
その半年後の1988年6月、焼け残った納屋を片付けていた家主の親類が人骨を発見した。
骨は焼かれて細かく砕かれ、ビニールに入れられて納屋の棚に置かれていた。
警察は歯形などから人骨を行方不明の少年のものと推定し、家主の妻を事情聴取した。
彼女は少年を最後に目撃した女性だったのである。
警察は厳しく取り調べたが、女性は人骨について何も知らないと犯行を否認し、その後は完全黙秘を貫いた。
物証に乏しい上、当時の技術では焼けた人骨のDNA鑑定は出来なかった。結局、警察は起訴を断念した。

それから10年後の1998年11月、警察はDNA鑑定により人骨が行方不明の少年のものと断定、女性を殺人罪で逮捕した。
時効まであと2ヶ月というギリギリのタイミングだった。
しかし、今回も女性は犯行を否認、完全黙秘を貫いた。
結果、2001年5月30日、一審で無罪判決。
傷害致死・死体遺棄・死体損壊罪は公訴時効が成立しており、殺人罪についても証拠が乏しく有罪にできなかったためだ。
検察は控訴したが、2002年3月19日に控訴棄却。上告は断念したため、女性の無罪が確定した。
その後、女性は刑事補償1160万円の請求を札幌地裁に起こし、支払いが決定した。

<ノンフィクション>

殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件 「新潮45」編集部 新潮文庫

限りなく黒に近いのに、完全否認と黙秘を貫き通して無罪を勝ち取った被告というのはかなり珍しい。
問題の女性は夫の殺害をもくろんで火災を起こした可能性もあるが、そちらは起訴すらされていない。

<リンク>
城丸君事件(wikipedia)
判決要旨へのリンクもあり。