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織原城二

2000年7月に起きた、いわゆる『ルーシー・ブラックマンさん事件』の犯人。
薬物を使って昏睡状態にした後に性的暴行、死亡した被害者をバラバラに切断し、神奈川県三浦市内の海岸にある洞窟内に遺棄した。
同年10月に別件の準強制わいせつ容疑で逮捕され、翌2001年1月にはまた別件の強姦致死容疑で再逮捕、同年2月に被害者の遺体が発見されて再逮捕された。
婦女暴行の被害者は少なくとも200人以上に上るとみられ、10人に対する準強姦罪とうち二人に対する準強姦致死罪で起訴された。
2007年に一審無期懲役判決、2008年に二審無期懲役判決、2010年に最高裁で上告棄却されて判決確定。

<概要>
織原城二(金聖鐘)は1952年、大阪で生まれた。両親は韓国人で、父親はタクシーや不動産で財産を築いた資産家だった。
両親は息子の教育に金を惜しまず、東京の高校・大学に進学、政治と法律を学んだ。
17歳の頃、父親が死去。20歳頃に日本に帰化した。

織原は30歳を過ぎた頃には家業を継いで成功した。資産を築く一方で、若い頃から婦女暴行を働いていた。
手口はまず被害女性を薬物を用いて昏睡させた後、暴行するというものだった。
彼は犯行の記録をノートに記し、ビデオなども撮影していた。
そして、1992年2月29日、織原は21歳のオーストラリア人女性を薬物中毒死させた。
1999年頃、織原は事業に失敗し、自宅や所有物件の差し押さえを受けた。
この頃までには自動車事故や盗撮などで罰金刑を受けていた他、性犯罪による逮捕歴もあった。

2000年7月1日、織原は六本木でホステスとして働いていた英国人女性を誘拐し、自宅で強姦後、死亡した彼女の遺体を損壊して神奈川県三浦市内の海岸洞窟に遺棄した。
翌月、被害者の家族が行方不明となった彼女の情報提供を呼びかけた。本事件はマスコミでも大きく取り上げられることとなった。
同年10月、織原は別件の準強制わいせつ容疑で逮捕され、自宅や所有物件の家宅捜索が行われた。
警察の捜査で織原の日記や犯行を記録したビデオが多数押収されたが、肝心の被害者への犯行の様子を映したものはなかったという。
ただし、部屋からは被害者の毛髪等が見つかっている。
2001年1月26日、1992年のオーストラリア人女性の事件で織原は再逮捕された。
同年2月、被害者の遺体が発見された。

織原は10人の女性に対する準強姦とうち二名に対する準強姦致死で起訴された。
強姦については概ね認めたものの、殺害については否認した。

2007年7月24日、一審で無期懲役。ただし2000年の殺人事件については証拠不十分で無罪。
2008年12月17日、二審でも無期懲役判決。一審で無罪だった件についても、わいせつ目的誘拐罪や死体損壊罪、死体遺棄罪などで有罪判決。
2010年12月8日、最高裁は上告棄却。判決確定。

<ノンフィクション>

刑事たちの挽歌―警視庁捜査一課「ルーシー事件」 高尾昌司 文春文庫

捜査に当たった刑事にスポットを当てた本。当時の捜査状況についてかなり詳細に描かれている。


黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実 リチャード・ロイド・パリー 早川書房

ザ・タイムズの東京支局長が書いたノンフィクション。被害者家族や友人、日本での交友関係についてよく取材してあり、読み応えあり。
ただ、事件そのものの記述より、外国人には現代日本(というか東京、もっと言えば六本木)がどう見えているかの方が興味深かった。

<リンク>
ルーシー・ブラックマンさん事件(wikipedia)
Joji Obara (wikipedia en)

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