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ジョン・ヘイグ

ジョン・ジョージ・ヘイグ
イギリスの連続殺人犯。1944年から1949年にかけて6人を殺害。
遺体を硫酸で溶かし、完全犯罪をもくろんだ。
しかし、警察の捜査により遺体の一部が発見され、1949年死刑執行。

<概要>
ヘイグは詐欺などで服役した前科があり、その収監中に完全犯罪を思いつく。
彼は『CORPUS DELICTI』、直訳すると『死体』がなければ罪に問えないと思い込み、被害者の遺体を硫酸で溶かし、消し去ってしまうことを思い立った。

1944年、最初の犯行を実行。被害者は彼に投資した後、殺害された。
遺体は硫酸の入ったドラム缶で処理され、マンホールに捨てられた。
翌年、ヘイグはこの被害者の両親も殺害し、家を乗っ取って財産を売り払った。
1948年、金のつきたヘイグは医師の夫妻を殺害。その財産を奪った。
最後の犯行は1949年の2月。
最後の犠牲者となった老婦人はヘイグの投資話を信じ、彼と共に『工場』を訪問し、殺害された。
彼女が戻らないことをいぶかしがった友人の女性が、ヘイグを連れて警察を訪れた。
警察はヘイグの言動を怪しみ、更に彼に詐欺の前科があったことから、彼の自宅と『工場』を捜索した。
工場とは名ばかりの倉庫で、警察はドラム缶や特殊な機材、女性ものバッグなどを発見する。
また後日、ヘイグが被害者のコートなどを売り払っていたことが発覚した。
警察がヘイグを問い詰めると、彼は平然と殺害を認めた。

ヘイグは自分は罪に問われることのない完全犯罪を成し遂げたと思い込み、自身の犯行を詳細に自供した。
しかし、被害者の遺体は完全に溶けていた訳ではなく、警察の捜査によって被害者の義歯や胆石などが発見された。
これにより彼の完全犯罪は崩れ、ヘイグは逮捕された。

『CORPUS DELICTI』とは『遺体』ではなく『罪体』と訳した方が正しい。
法律的に言えば『構成要件』、つまりある人の死の原因が他者による犯罪によるという証拠のことだ。
ヘイグは勘違いしていたが、死体がなければ殺人が立証出来ないということではない。
その客観的な事実を証明出来れば殺人罪は成立する。

ただ、ヘイグはそれでも自分の完全犯罪に自信を持っており、更に被害者の血を飲んだと話し精神障害を装うなどして、死刑を逃れようとした。
しかし判決は死刑。1949年8月に死刑執行された。

<リンク>
Wikipedia(英語版)
[これはひどい]「Corpus Delicti(コーパス・デリクタイ)」の翻訳について(罪の巨塊) 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
『CORPUS DELICTI』に対する大江健三郎の誤訳にまつわる言葉の解説。
ヘイグの事件とは関係ないけれど、面白かった。

<おまけ>
クロックタワー3の硫酸男のモデルがこのヘイグ。

リチャード・ラミレス

1984年から85年にかけてアメリカ・ロサンゼルスで民家に侵入し、殺人・強姦・強盗を働いた。
1989年に13件の殺人、5件の殺人未遂、11件の性的暴行、14件の強盗の罪で死刑判決を受けた。
2013年6月7日に獄死。
別名:ナイトストーカー(Night Stalker)

<概要>
テキサス州の大家族に生まれ育ったラミレスは、少年時代から反社会的傾向があった。
10代半ばにしてマリファナに手を染め、幾度か逮捕されている。
ロサンゼルスに出てきたのは事件を起こす二年ほど前のことだった。
すっかりジャンキーになった彼は、窃盗をしながらホームレス生活を送っていた。

最初の事件は1984年6月に起きた。
被害者は79歳の女性で、自宅アパートで就寝中に押し入ってきたラミレスに強姦され、めった刺しにされて殺された。
その後、彼は1985年8月までに14件の事件を起こしている。
ほとんどの事件は夜間、被害者の自宅で起こっている。
ラミレスは目に付いた家に侵入、男は銃殺し、女や少年がいればレイプしてから殺した。
被害者に悪魔への忠誠を誓わせ、悪魔崇拝の印を現場に残したこともあった。
彼は気まぐれで、時には被害者を殺さないこともあり、生き残った者も何人かいた。
彼らの証言や現場に残された沢山の証拠物件を元に、捜査は大がかりに行われた。
被害者は10代から80代の女性と幅広く、少年も被害に遭っているなど、犯人像のプロファイリングは混乱した。
逮捕に繋がったのは指紋照合だった。
1985年8月の最後の事件後、当時の最先端技術だったコンピュータによる指紋照合システムにより、ラミレスが浮かんだ。
警察はすぐに彼を指名手配した。
ラミレスはヒスパニック系の居住地に逃げ込んだが(彼はヒスパニック系だった)、彼を見つけた住民らにリンチされているところを逮捕された。

逮捕当時のラミレスは不摂生な生活と薬物乱用により当時26歳ながらも既に歯を失い、見るからに不健康そうだった。
しかし、拘留中に太り、義歯をはめ、身なりを整えたところ、一躍人気者となった。
彼の裁判には沢山の女性が傍聴に訪れ、多くの手紙が届いた。
後にグルーピーの一人と獄中結婚までしている。
弁護士は裁判の引き延ばし工作を行い心神喪失を訴えたが、判決は死刑。
2013年、拘留中に死亡した。享年53歳。

<リンク>
死亡に関するニュース
Serial killer, rapist Richard Ramirez -- known as 'Night Stalker' -- dead at 53 (CNN)
ちなみに日本じゃ全くといっていいほど報じられなかった。

<おまけ>
この人は手紙を出すと結構返事をくれたらしい。
日本でも手紙をやりとりした人がいるのには驚いた(ググると何人か出てくる)。
あと、『最後の犠牲者』ジェイソン・モス(獄中のジョン・ウェイン・ゲーシーと文通、刑務所で面会して殺されかけたことで有名になった学生。後に自殺)も彼と文通している。

「連続殺人犯」の心理分析 ジェイソン・モス 講談社

この本にそのやりとりも掲載されている。

名古屋臨月妊婦殺人事件

1988年3月18日に名古屋で起きた殺人事件。
被害者は臨月の妊婦だった。
彼女は絞殺されて腹部を切り裂かれ、胎児を取り上げられていた。
2003年時効成立。

<概要>
被害者は自宅マンションに一人でいるところを襲われたらしい。
第一発見者は帰宅したばかりの夫だった。
この夫はいつも帰宅前に家に電話を入れていたが、この日は誰も出なかった。
不審に思った彼が部屋へと急ぐと、部屋のドアは施錠されていなかった。
玄関に入ると赤子の泣き声が聞こえたという。
夫が部屋に入ると、そこには両手を縛られ、首に電源コードを巻き付けて亡くなっている妻の姿があった。
そして、その足下では血まみれの赤子が弱々しく泣いていた。

被害者は絞殺された後、胸から下腹部にかけて鋭利な刃物で切り裂かれ、子宮内の胎児を取り出されていた。
胎児はへその緒を切られていた他、股間や膝の裏などを切りつけられていた。
また、空っぽになった被害者の子宮には受話器とミッキーマウスのキーホルダーが入れられていた。

犯人は被害者の財布から数千円の現金を盗んでいたが、他のものには手を付けていなかった。
また指紋などの証拠は一切残っていなかった。
被害者はマルチ商法に関わっていたらしく、その怨恨が犯行動機ではないかと考えられた。
また、異様な犯行から、死体損壊が趣味の異常者、胎児を取り上げていたことから医学生なども犯人像として挙げられた。
夫を始めとして事件の日に自宅前を通りかかった人までが捜査の対象となったが、結局犯人像すら分からないまま、2003年に時効を迎えた。

なお、第一発見者の夫と息子(この事件で生まれた子)は、海外に移住したそうだ。

<ノンフィクション>

殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件 「新潮45」編集部 新潮文庫

フィリップ・ガリドー/ナンシー・ガリドー

1991年6月10日にアメリカ・カリフォルニアで発生した少女誘拐事件の犯人。
2009年8月26日、被害者は当時11歳と15歳の娘二人と共に救出される。
娘達は犯人の子供だった。
フィリップ・ガリドーは懲役431年、ナンシー・ガリドーは懲役36年の刑が確定し、服役中。

<概要>
被害者は当時11歳の少女で、バス停でスクールバスを待っていたところを無理矢理車に押し込められて誘拐された。
家族が犯行現場を目撃し、追跡を試みるが失敗。
この事件はマスコミでも大きく取り上げられ、大々的な捜索が行われたものの、結局彼女は見つからなかった。

主犯のフィリップは薬物常用者で性犯罪の前歴もある男だった。
犯行当時も仮釈放中で、足首には追跡用のGPSを付けていた。
被害者は繰り返し暴行され、時には薬物を注射されることもあったという。
監禁中、彼女はフィリップの娘二人を妊娠・出産している。
最初の出産は、彼女が14歳の時だった。
被害者はガリドー宅の裏庭の小屋などに監禁されていたが、時折子供達と外出したり、ガリドーの印刷会社を手伝ったりもしていた。

救出のきっかけはフィリップが娘二人を連れてカリフォルニア大学バークレー校を訪れたことだった。
この時の挙動を不審に感じ、警察がフィリップの身元を確認。
翌日、フィリップは妻と被害者、子供達を連れて保護観察官オフィスに現れた。
そこで被害者の身元が発覚。彼女と娘達は保護された。
誘拐事件から19年の歳月が過ぎていた。

主犯のフィリップは懲役431年、ナンシーは懲役36年の刑が確定した。
なお、被害者を救出するチャンスは何度かあった。しかし、当局はそのチャンスをことごとく逃している。
カリフォルニア当局は被害者に2000万ドルの保証金を支払った。

<リンク>
ジェイシー・リー・デュガード誘拐事件(wikipedia)

<ノンフィクション>

奪われた人生 18年間の記憶 ジェイシー・デュガード 講談社

被害者の少女自身が発表した手記。
自身の身に降りかかったおぞましい事件についてかなり詳細に書いているが、その筆致は冷静。
また生まれた子供達に対しても、彼女は深い愛情を示している。
精神的に強く、なおかつ愛情深い女性という印象を受けた。
なお、被害者は2013年に発覚した3女性監禁事件でもコメントを出している。
10年監禁の3女性に「傷を癒やす時間を」、類似事件の被害者が訴え(APF)


<類似の事件>
アリエル・カストロ
オハイオ州クリーブランドで2002年から2004年にかけて3人の女性を誘拐し、監禁して暴行した。
キャメロン・フッカー
1977年、オレゴン州でヒッチハイク中の女性を誘拐、以後7年にわたり監禁して暴行を加えていた。

高校生首切り事件

<概要>
1969年4月23日に神奈川県で発生した殺人事件。
加害者、被害者ともにサレジオ学園に通う男子高校生。
加害者は被害者をナイフでめった刺しにした挙げ句、首を切断した。
その後、自らの肩にも傷を付けて第三者に襲われたように装ったが、二日後には自供した。
動機はいじめだった。被害者に悪口を言われるなどしていたらしい。
加害者は少年院に送られた。

<リンク>
加害少年の精神鑑定書(少年犯罪データベース)

<ノンフィクション>

心にナイフをしのばせて 奥野修司 文春文庫

事件そのもの、というよりは事件後の被害者一家を追ったドキュメンタリー。
本書によれば、事件後加害者から遺族への謝罪はなく、損害賠償もごく一部しか支払われなかった。
事件について知りたい向きには物足りないが、遺族保護のあり方や少年法について考えさせられる一冊。
だが、加害者に関する記述についてはいささか疑問を覚える。
著者は加害者本人やその家族等にはインタビューできなかったが、遺族や当時の友人達の証言から事件の動機であるとされたいじめを否定している。
更に著者は加害者が少年院出所後に有名大学を出て弁護士になったことを指摘、社会的地位も財産もあるのに、賠償にも謝罪にも応じないと手厳しく非難する。
そして加害者はこの本がきっかけで身元を暴かれ、ネットで大々的に非難された。
彼は結局弁護士を廃業したらしい。
裁判で決まった賠償金を支払わないことや、謝罪を求める遺族をぞんざいに扱う加害者側にも問題はある。
また、少年期に殺人という重い罪を犯しても弁護士になれるというのはどうかと思う。
しかし、彼は既に法に定められた刑期を終え、再犯もせず、弁護士にまでなった。
これを更正したと言わずに何と言ったら良いのだろう。
『更正』とは何だろうと考えずにはいられない。