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ロバート・ハンセン

Robert Christian Hansen
米国アラスカ州アンカレッジにて、1971〜1983年にかけて17〜21人の女性を殺した。
売春婦を人里離れた荒野に連れ出し、獲物に見立て「人間狩り」を楽しんでいた。
1983年に逮捕され、禁固461年に処された。
2014年8月21日に死亡。享年75歳。

<概要>
ハンセンはアイオワ州で1939年に生まれた。
物静かで内向的な性格で、学生時代はニキビと吃音が原因でいじめられていた。
狩猟を覚えたのはこの頃だという。
ハイスクールの卒業後は一年間陸軍予備役に就き、その後警察の教練教官の職を得た。
この時期、ハンセンは一度目の結婚をしている。
しかし、彼は放火で逮捕され、拘置所にいる間に職も妻も失った。
出所後の数年間、窃盗で何度も逮捕されている。

1967年、ハンセンは二人目の妻と共にアラスカに移住した。
夫妻の間には二人の子も生まれ、狩猟の名手として近隣住民からも好かれていたという。
しかしその裏で、彼は売春婦を獲物に見立てた「人間狩り」ゲームを密かに始めていた。
声をかけた売春婦に暴行を加えて拘束した後、軽飛行機で荒野に連れ出し、逃げ惑う彼女らを狩った。
なお、ハンセンは1977年に窃盗で投獄されている。
この際、彼は双極性障害と診断されたが、正式な治療は受けなかった。

凶行は1983年6月に被害者の一人が警察に駆け込むまで続いた。
彼女は手酷い暴行を受けた上、手錠をかけられて飛行機に乗せられたが隙を見て脱出、逃走に成功した。
彼女の訴えにより事件は明るみに出た。

ハンセンは16〜41歳の女性を少なくとも17人殺害した(30人以上殺害している疑いがある)。
彼の家からは女性達の遺留品と印を付けた地図が見つかり、印の場所からは被害者達の遺体が発見された。
当初否認していたハンセンも、ついに罪を認めた。
ハンセンは4件の殺人と最後の被害者への暴行と誘拐により禁固461年の判決を受けた。
2014年8月21日に死亡。享年75歳。

<映画>
2013年にこの事件を元にした映画『フローズン・グラウンド(原題:the Frozen Ground)』が公開された。
ハンセンを演じるのはジョン・キューザック、彼を追う警官役がニコラス・ケイジ。
(配役は逆の方が合ってる気がする)

フローズン・グラウンド (字幕版)



<リンク>
Wikipedia (en)

<ノンフィクション>

連続殺人紳士録 ブライアン・レーン 中央アート出版

デイビット・パーカー・レイ

David Parker Ray-Zakre
米国アリゾナ州やニューメキシコ州で60人もの女性を拷問し、殺したと考えられている連続殺人犯。
10万ドルをかけた手製の拷問室で犯行を行っていたことから、Toyーbox killerとも呼ばれる。
1999年に逮捕され、懲役224年の刑に処された。
2002年5月28日に獄死。享年62歳。

<概要>
レイは1939年11月6日に生まれた。
彼は祖父に育てられたが、貧しさやシャイな性格からいじめられ、10代の頃にはアルコールや違法な薬物に手を出していた。

高校卒業後は技師として働いていたレイは、10万ドルかけて古いトレイラーハウスを改造し、後に数多くの女性を拷問・殺害する「Toy-box」を作った。
この中には鞭や鎖、滑車や医療用の刃物など、様々なグッズが集められていたという。
彼はニューメキシコ州トゥルース・オア・コンシクエンシーズに在住していた間、多数の女性達を誘拐し、殺害していた。

事件発覚は1999年3月22日のことだった。
Toy-boxに監禁されていた女性が逃げ出し、警察に保護された。
誘拐されて3日間、手酷い拷問を受け続けていたという。
彼女はレイが外出中に逃げ出したが、見張り役の共犯者シンディ・ヘンディに見つかってしまった。
彼女は殴られるなどの暴行を受けたが、裸のまま逃げ出した。
警察はレイとヘンディを逮捕した。

この逮捕が報じられると、以前被害を受けたという女性が一人名乗り出た。
また、捜査によってまた別の被害者が映ったビデオが見つかった。
そのビデオは1993年のもので、被害者は解放され、最終的にコロラドで発見された。
しかし、被害者の女性達は記憶を断片的にしか思い出せなかった。
レイは記憶障害を引き起こす麻酔薬を彼女らに投与していたのだ。

FBIの大々的な捜査にも関わらず、被害者らの遺体も有力な証拠も見つからなかった。
しかし、ヘンディや新たに協力者として逮捕されたデニス・ヤンシーとグレンダ・ジーン・レイ(レイの実娘)は、レイの犯罪を証言した。

裁判は保護された女性の事件、名乗り出た女性の事件、ビデオに映っていた女性の事件の三件について行われた。
しかし、二つ目の事件の被害女性は裁判直前に病死してしまった。
レイは当初無罪を主張していたが、突如証言を翻し、罪を認めた。
結果、彼は224年の懲役となったが、娘は懲役9年の刑となった。
なお、捜査に協力的だったヘンディは懲役36年を科された。

レイは2002年5月28日、刑務所内で死亡した。心臓麻痺だったという。

<リンク>
Wikipedia en
David Parker Ray: The Toy Box Killer (crime library) ※英語

アリエル・カストロ

Ariel Castro
オハイオ州クリーブランドで2013年5月6日に発覚した女性誘拐監禁事件の犯人。
2002年から2004年にかけて三人の女性を誘拐し、監禁して暴行していた。
被害者のうち一人は監禁中に彼の子供を出産、生まれた娘は救出された時には6歳になっていた。
2013年7月26日、誘拐や暴行などの937の罪により釈放なしの終身刑および1000年の禁固が言い渡された。
2013年9月3日、刑務所内で自殺した。

<概要>
カストロはプエルトリコ移民の二世で9人兄弟の一人だった。
1991年からスクールバスの運転手として勤務していた。
結婚後、1992年には後に犯行現場となる自宅を購入した。
カストロは近隣住民にはおおむね評判が良かったが、妻には暴力をふるった。
1996年、妻は四人の子供を連れて家を出ている。
その後も彼はこの元妻に脅迫を続けていたという。

最初の犯行は2002年8月22日に行われた。被害者は当時21歳だった。
彼女の失踪は息子の養育権を失った失望と怒りによるものと考えられ、全米犯罪情報センターから事件に関するデータは削除された。
なお監禁中、彼女は少なくとも5回妊娠したが、カストロは彼女の腹部を殴るなどして流産させた。

二度目の事件は2003年4月2日に起きた。
被害者は17歳の誕生日を翌日に控えた少女だった。
彼女は仕事帰りに家族に電話した後、姿を消した。
監禁中、カストロの娘を出産したのが彼女である。
彼女の失踪事件はテレビ番組で取り上げられるなどしたが、結局2013年まで彼女は見つからなかった。
なお、彼女の母親は霊能力者に捜索を依頼したが、娘は既に死んでいると言われたという。
この母親はその後も娘の行方を捜し続けたが、2006年に死去した。

最後の事件は2004年4月2日に起きた。
三人目の被害者は誘拐当時14歳で、彼女とカストロの娘は友人だった。
この事件は前述の二つ目の事件との関連が疑われ、大々的に捜査されていた。
カストロも捜索活動に参加していたという。

事件の発覚は2013年5月6日のことだった。
二人目の被害者が助けを求めて大声を上げた。気付いた近隣住民がドアを蹴破り、彼女と娘を救助した。
通報を受けた警察により他二名も保護された。
警察はカストロと彼の兄弟二人を逮捕した(兄弟については後に無関係と判明し、釈放された)。

2013年7月26日、誘拐や暴行などの937の罪により釈放なしの終身刑および1000年の禁固が言い渡された。
当初、検察は死刑を求刑するとみられていた。
カストロは司法取引に応じ、罪を認める代わりに死刑を免れた。
2013年9月3日、刑務所内で首つり自殺した。

<リンク>
Ariel Castro kidnappings (Wikipedia en)


<類似の事件>
キャメロン・フッカー
1977年、オレゴン州でヒッチハイク中の女性を誘拐、以後7年にわたり監禁して暴行を加えていた。
フィリップ・ガリドー/ナンシー・ガリドー
1991年に少女を誘拐し、19年間監禁した夫妻。2009年に被害者は当時11歳と15歳の娘二人と共に救出された。

パラコート

パラコート Paraquat
ビピリジニウム系に分類される非選択型除草剤の一種。
イギリスで開発され、日本でも1965年に発売されている。
除草効果が高いことから広く使われているが、一方で毒性が強いために自殺や無差別殺人事件に使われた。
中毒症状を起こすと、最初は嘔吐やショック症状が見られる。
数日中に肝機能障害や腎臓障害が現れ、この中毒症に特徴的な肺水腫・肺線維症により死に至る。
ヒトの経口最小致死量は30mg/kg。
致死率は高く、有効な治療法は現在も確立していない。
血漿中のパラコート濃度と摂取してからの時間から生存・死亡が予測出来る(プラウドフットの生存曲線)。
現在は濃度を低くし、ジクワットとの混合溶液として販売されている。
着色したり嘔吐剤を混ぜたりなど事故防止策が取られている。

<作用機序>
パラコートは細胞内に入ると、NADPHから電子を受け取ってパラコートラジカルに変化する。
パラコートラジカルは酸化されてもとのパラコートに戻るが、その際に活性酸素を発生する。
この活性酸素が細胞を傷害し、やがては細胞死へと至らしめる。
パラコート←→パラコートラジカルへの変化は繰り返し起こるので、少量でも強い毒性を示す。
パラコートラジカルの発生する場所としてミクロソーム説とミトコンドリア説とがあるらしい。

参考
パラコート中毒、ジクワット中毒(gooヘルスケア)

<パラコート連続毒殺事件>
1985年に日本各地で起きた無差別毒殺事件。
自動販売機の商品受け取り口にパラコートを混入したジュースなどを置いておくという手口で、置き忘れだと思いこれを飲んだ人々が中毒症状を起こした。
模倣犯を含め34件の事件が起き、13人が死亡している。

パラコート連続毒殺事件(wikipedia)
余談だが、この項の自演というところにある東大阪の中学生の事件が切ない。

ヴィクトル・サエンコ/イゴール・シュプルンヤク

ヴィクトル・サエンコ Viktor Sayenko
イゴール・シュプルンヤク Igor Suprunyuck
アレクサンドル・ハンザ Alexander Hanzha
2007年、ウクライナのドニプロペトロウシクで起きた連続殺人事件の犯人グループ。
主犯はサエンコとシュプルンヤクで、殺害はこの二人によって行われていた。
ハンザは被害者の金品を盗むのに荷担した。
サエンコとシュプルンヤクは終身刑、ハンザは懲役9年の判決。
なお、この事件は通称『ウクライナ21』の動画で有名。
通称:ドニプロペトロウスクの狂人達(Dnepropetrovsk maniacs)

<概要>
最初の事件は2007年6月25日に起きた。
被害者は当時33歳の女性で、友人の家に行った帰りに襲われた。
彼女はサエンコとシュプルンヤクに頭をハンマーで滅多打ちされて殺害された。
第一の犯行の直後、二人は次なる事件を起こしている。
被害者は第一事件の現場近くの公園で寝ていた男性で、彼もまた頭をハンマーで殴られ殺された。
これ以降、7月23日に逮捕されるまでに彼らは驚くべきペースで犯行を重ねていく。
7月1日には二人、7月6日には三人が殺された。
7月7日、14歳の少年が襲われて殺された。この際、被害者と一緒にいた友人が逃亡に成功した。
この少年の証言が後の犯人逮捕に繋がった。
7月12日、48歳の男性が凄惨な暴行を受けた後に殺害された。
この時に撮影されたのがいわゆる『ウクライナ21』のビデオらしい。
その後も12人が殺害された。

被害者はランダムに選ばれたようだが、そのほとんどは子供や女性、ホームレスなどだった。
被害者の多くは目をえぐり出されるなど、凄惨な拷問を受けていた。
妊娠中だった女性は腹を割かれ、胎児を取り出されていた。
ただ、いずれの被害者も性的暴行を受けていない。
ほとんどの被害者は金品も奪われていなかった。
しかし、一部の被害者の持ち物は質店で換金されていた。
これが逮捕のきっかけの一つとなった。

三人が逮捕されたのは2007年7月23日のことだった。
逮捕された当時、三人はまだ19歳だった。
彼らは21件の殺人と8件の強盗などで起訴された。

なお、彼らの携帯電話やPCには犯行の様子を収めた動画や画像が残されていた。
また、被害者の葬儀の様子や動物虐待を映したものも見つかっている。
これらの動画の一つが2008年にインターネット上に流出した。
この動画が日本では『ウクライナ21』と呼ばれている。

<リンク>
Dnepropetrovsk maniacs (Wikipedia en)