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モーゼス・シトレ

Moses Sithole

1994〜5年にかけて、南アフリカで少なくとも38人を殺害した連続殺人犯。
この事件はABC殺人事件(ABC Murders)としても知られている。
被害者は女性ばかりで、性的暴行を加えられた後に殺害されている。
1995年10月に逮捕され、1997年12月に裁判で懲役2410年を科せられた。
現在も収監中。

<概要>
モーゼス・シトレは1964年11月17日、南アフリカのヴォスルーラスの貧しい家に生まれた。
彼が5歳の時、父親が死んだ。母親は家族を見捨てて出て行ってしまったため、彼と兄弟達はその後三年を孤児院で過ごした。
シトレが後に語ったところによると、孤児院で虐待を受けていたという。しかし、アパルトヘイトの時代であるため、彼の幼年期についてはあまり情報がない。

十代になったシトレは強姦で逮捕され、懲役7年に処された。この時の刑務所での経験が、後に彼を連続殺人犯にしたらしい。

出所後のシトレは周囲の人々には温厚な人間に見えた。しかし、その一方で彼は犯行を重ねていた。
シトレは虐待された子供のための慈善団体を運営しているように装い、求人に応じた女性を人気のない草原に連れ出した。そこで女性を暴行し、下着で絞殺する、というのが彼の手口だった。
シトレは1994年から逮捕される1995年までに少なくとも38人を殺害した。
犯行はアッテリッジヴィル(Atteridgeville)から始まり、ボックスバーグ(Boksburg)、クリーブランド(Cleveland)でも行われたため、この事件はABC連続殺人事件と呼ばれた。

1995年8月、殺害を免れた被害者の一人の証言により、シトレが捜査線上に浮かんだ。警察の手が迫り、彼はすぐに姿を消した。
その年の10月、彼はジャーナリストに連絡を取り、自分が指名手配されている殺人犯だと明かした。彼はかつて刑務所に収監されていた時に受けた不正な扱いが犯行の動機だと語り、76人殺害したと主張した。そして犯人であるという証明のために遺体の一つの在処を示した。
警察はヨハネスブルグでシトレを追い詰め、銃撃の末に逮捕した。なお、治療のために連れて行かれた病院で、HIV感染が発覚した。

1997年12月5日、裁判によりシトレは38件の殺人にそれぞれ50年、40件の婦女暴行にそれぞれ12年、6件の強盗にそれぞれ5年の懲役刑を科された。
合計すると懲役2410年、仮釈放請求には少なくとも930年が必要だという。

2015年現在も収監中。

<リンク>
Moses Sithole (Wikipedia en)

日高広明

1996年4月から9月に広島県で起きた連続女性殺人事件の犯人。
被害者は援助交際をしていた高校生や売春婦4人。
殺害後、金銭を奪って遺体を遺棄した。
1996年9月21日に逮捕され、2002年に一審死刑判決。
2006年12月25日に死刑執行。享年44。

<概要>
日高広明は1962年、宮崎県の農家に生まれた。
高校生の頃までは成績も運動神経も良く将来を期待されていたが、受験に失敗して不本意な大学に入学して以降、コンプレックスを増幅させていった。
酒やギャンブルを覚え、大学を中退した日高は実家に帰るも、酒気帯び運転やひったくりなどを繰り返した。
1986年には強盗で逮捕され、二年の実刑判決を受けている。

1989年、出所した日高は広島県に移り、タクシー運転手となる。
酒と女で借金を重ねるが、1992年に結婚して借金を清算、それなりに幸せな生活を送った。
翌年には子供にも恵まれる。しかし、出産後に妻が精神を病み、日高は再び酒におぼれ借金を重ねるようになった。

1996年4月18日、日高は最初の事件を起こす。
被害者は16歳の少女で、日高は援助交際目的で彼女に声を掛けた。
ホテルに入ったものの、少女の身の上話に同情した日高は何もせずに金だけを渡した。
そして呉へと送ると約束して、タクシーに乗せた。
呉へと向かう途中、日高は少女の所持金を狙い、彼女の殺害を決意する。
人気のない道でタクシーを止めた日高は、少女をネクタイで絞殺し、現金5万円を奪った。遺体は広島市内に遺棄した。

少女の遺体は18日後に発見されたが、日高の周囲に警察が現れることはなかった。
このことに自信を得た日高は、次の事件を起こす。
8月13日、日高は一人目の被害者を拾った公園で23歳の女性に声を掛けた。
深夜ホテルを出た後、日高はタクシーを山中で止め、被害者を絞殺して現金約5万円を奪い、遺体を遺棄した。

9月7日、日高は三度目の犯行に及ぶ。
被害者は以前から顔見知りだった45歳の女性で、タクシーの車内で絞殺した。
所持金約8万円を奪った後、遺体を遺棄。
9月14日には四度目の事件を起こす。
被害者は32歳の女性で、深夜にホテルを出た後、やはりタクシー内で絞殺した。
彼女の遺体は数時間後に発見され、目撃証言から日高が浮かび、9月21日に逮捕された。

2002年に一審死刑判決。控訴はせず、死刑が確定。
2006年12月25日に死刑執行。享年44。

<ノンフィクション>

殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件 新潮45編集部 新潮文庫


<おまけ>
山崎紗也夏の漫画『サイレーン』に登場するタクシードライバーの連続殺人犯の元ネタは、恐らく日高と前上博(2005年に起きた自殺サイト殺人の犯人。白ソックスに性的興奮を覚えていた)だと思う。

タマラ・サムソノバ

Tamara Samsonova

2015年7月28日、ロシア・サンクトペテルブルクにて連続殺人事件の犯人として逮捕された女性。逮捕当時68歳。
被害者は少なくとも13人に上ると見られている。
マスコミは彼女を「切り裂きばあさん(Granny Ripper)」と呼んでいる。

タマラ・サムソノバは同居していた女性(79歳)を殺害し、遺体を切断して遺棄した容疑で逮捕された。
アパートの防犯カメラに、彼女が大きなゴミ袋を持ち出している映像が残っていた。
警察の捜査によると、彼女の日記には事件の詳細の他、オカルト信仰や人肉食にも言及があるという。
また、サムソノバはソビエト時代の有名な連続殺人犯アンドレイ・チカチーロにも強い興味を持っていたという。

続報が気になる事件。

<リンク>
ロシアで「切り裂きばあさん」逮捕 11人殺害か、人肉食の捜査も(CNN.co.jp)

アイリーン・ウォーノス

Aileen Wuornos

1989〜90年にかけ、米国フロリダ州で7人の男性を殺害した連続殺人犯。
ウォーノスは売春婦で、犯行は暴行を受けそうになったために行った正当防衛だったと主張した。
2002年10月9日に薬物による死刑が執行された。享年46。

<概要>
アイリーン・ウォーノスは1956年、米国ミシガン州ロチェスターに生まれた。
しかし両親は彼女が生まれる前に離婚し、母親は子供を置いて出て行ってしまった。
そのため、ウォーノスと兄は祖父母に育てられた。

ウォーノスは祖父から幼児虐待を受けており、かなり若年の頃から複数の異性と関係を持っていたという。
彼女は14歳で妊娠(父親は祖父の友人だという)、出産したが、子供は養子に出された。
15歳の時、祖母が死去した。ウォーノスは学校をやめ、売春婦として生計を立てるようになった。

その後、ウォーノスは銃の乱射や暴力行為、強盗などで幾度となく逮捕された。
1976年には結婚したこともあったが、結婚生活はすぐに破綻した。
1986年、ウォーノスはティリア・ムーアという女性と出会い、交際を始めた。
恋愛関係が終わった後も、ウォーノスとムーアは友人として行動を共にするようになる。
ウォーノスは売春と盗みで生計を立てていたが、常に金に困っている状態だった。

ウォーノスがフロリダで最初の事件を起こしたのは1989年11月30日のことだった。
被害者は51歳の男性で、銃で撃たれて殺害された。
その後も彼女は1990年6月1日、6月6日、7月4日、7月31日、9月11日、11月19日に事件を起こしている。
いずれの被害者も銃で撃たれて殺害されていた。

ウォーノスとムーアが捜査線上に浮かんだのは、1990年7月4日の事件の被害者の車と事故を起こしていたためだった。
質屋に持ち込まれていた被害者の所持品からもウォーノスの指紋が見つかった。彼女の指紋はフロリダの犯罪者データベースに登録されていた。
1991年1月9日、ウォーノスは逮捕された。翌日、ムーアも逮捕された。
ウォーノスは犯行を自供し、レイプされそうになったため正当防衛で殺害したと主張した。
1992年までにウォーノスは6件の殺人で有罪となり(一件については遺体が見つからなかったため、起訴されなかった)、死刑判決を受けた。
2002年10月9日、薬物注射による死刑が執行された。享年46。

<映画>

モンスター [DVD]

本事件を基にした映画。ウォーノスを演じたシャーリーズ・セロンは本作でアカデミー主演女優賞を受賞している。

宮崎勤

1988〜9年に東京都および埼玉県で起きた、いわゆる東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人。
被害者は4〜7歳の少女4人。わいせつ目的で誘拐した後、殺害して遺体を遺棄した。
1989年7月に逮捕され、1997年に一審で死刑判決。2006年、上告が棄却されて判決確定。
2008年6月17日に死刑執行。享年35。

<概要>
宮崎勤は1962年、東京都西多摩郡五日市町で、父親は地元の新聞会社を経営、曾祖父・祖父は村会議員・町会議員を務めるという裕福な地元名士の一家の長男として生まれた。
忙しかった両親に代わり、祖父と子守の男性が幼い宮崎の面倒を看た。

宮崎の手には先天性の障害があったが、医師の勧めもあり積極的な治療は受けなかったという。そのため、彼は周囲の子供からからかいの対象になり、辛い思いをしたという。
学生時代は総じて暗く目立たない少年だったが、短期大学時代は自作パズルを投稿するなどの活動もしていた。

卒業後、印刷会社に就職するが3年ほどで退職する。
以降は時折家業を手伝いつつ、自室に引きこもる生活を送るようになった。
一方で、テレビアニメや特撮番組を好んでいた宮崎は同人サークルに加入、同人誌の発行や番組のビデオテープの複製・交換を行っていた。
彼が収集したビデオテープは6000本近くに及んだ。

1988年5月、宮崎の祖父が亡くなった。懐いていた祖父の死は宮崎にとって大変なショックだった。後に、彼は祖父の遺骨を食べたという。

最初の事件を起こしたのは祖父の死の直後、1988年8月22日のことだった。
被害者は埼玉県入間市の当時4歳の幼稚園児だった。宮崎は彼女に声をかけ、車で東京都八王子市の山林に連れ込んで絞殺した。
殺害後、宮崎は遺体にわいせつ行為を加え、その様子をビデオ撮影した。

第二の事件は同年10月3日に起きた。被害者は埼玉県飯能市の当時7歳の少女で、声をかけて車に乗せ、山林に連れ込んで殺害した。
その後、わいせつ行為を行ったが、その時点では被害者はまだ生きていた可能性がある。

第三の事件は12月9日、埼玉県川越市で起きた。被害者は当時4歳の幼稚園児で、やはり声をかけて車で連れ去った。
服を脱いだ少女の写真をした後、絞殺。遺体は入間郡名栗村の山林に遺棄、衣類や靴は横瀬川の河川敷に遺棄した。
同月15日、河川敷の遺留品が発見され、続いて遺体も発見された。
この頃、宮崎は第一の被害者宅と第三の被害者宅に暗号めいたはがきを送っている。

1989年1月、宮崎は第一の被害者の遺骨を持ち帰り、自宅前で燃やした。
翌月2月6日、燃やした遺骨や写真などを入れた段ボール箱を第一の被害者の自宅前に置いた。
同月10日、宮崎は写真を添付した犯行声明文を朝日新聞東京本社に郵送する。翌日には同じ文章が第一の被害者の母親にも届いている。
手紙の差出人は「今田勇子」という女性名で、犯行の経緯が書かれていた。
宮崎は3月6日にも告白文というタイトルで文章を送っている。

同年6月6日、宮崎は第四の事件を起こす。被害者は東京都江東区の当時5歳の少女で、車に乗せてガムを与えていたところで、手の障害をからかわれて絞殺した。
その後、宮崎は遺体を自宅に運び込み、わいせつ行為のビデオと写真を撮影した。
二日後、遺体を切断して遺棄した。
遺体の一部は同月11日に発見された。

同年7月23日、宮崎は最後の事件を起こす。少女に声をかけて山林に連れ込み、裸の写真を撮影していたところを、少女の父親に取り押さえられ、逮捕された。
翌月、宮崎は事件を自供。供述通りの場所で遺体が発見され、宮崎は再逮捕された。

1997年4月14日、一審死刑判決。
2001年6月28日、二審で一審支持、控訴棄却。
2006年1月17日、最高裁が弁護側上告を棄却して、死刑判決が確定。
2008年6月17日、死刑執行。

<ノンフィクション>
マスコミによるオタクバッシングの先駆けとなったり、精神鑑定の結果が騒がれたりと、有名かつ様々な議論を呼んだ事件だけあって色々な本が出ている。

宮崎勤事件―塗り潰されたシナリオ 一橋文哉 新潮文庫

読みやすく、事件全体が分かりやすい。
佐木隆三のルポ三冊(宮崎勤裁判 朝日文芸文庫)も詳しい。

ちなみに本人名義で出されている本もある。

夢のなか―連続幼女殺害事件被告の告白 創出版


夢のなか、いまも 創出版


この事件は冤罪説があったり、もう一人被害者がいるという話(この被害者は北関東連続幼女誘拐殺人事件の被害者ともされている)があったり、実は今でも結構謎が多い。