忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

札幌男児誘拐殺人事件

1984年1月10日、札幌市豊平区の当時9歳の男児一人が行方不明になった事件。
1988年、新十津川町の農家の納屋から子供の骨が見つかり、1998年にDNA鑑定により被害者のものと判明した。
女性一人が逮捕されたが、彼女は犯行を否認、黙秘を通した。
2001年5月30日、一審で無罪判決。
検察は控訴するも、2002年に控訴棄却。検察は上告を断念。

<概要>
1984年1月10日の朝、札幌市豊平区の資産家宅に一本の電話がかかってきた。
受けたのはその家の次男で小学校四年生の男児で、彼はワタナベさんの家に行くと言い残して自宅を後にした。
心配した兄が後を追いかけたが見失ってしまった。
兄が少年を見失った地点からほど近いアパートには「ワタナベ」姓の母娘が住んでいた。
母親の方は少年が訪ねてきたが、彼の探す「ワタナベ宅」ではないと教えたら帰って行ったと証言した。
これ以降、少年は行方不明となった。

1987年12月、新十津川町の農家で火災が起き、家主の男性が死亡した。
その半年後の1988年6月、焼け残った納屋を片付けていた家主の親類が人骨を発見した。
骨は焼かれて細かく砕かれ、ビニールに入れられて納屋の棚に置かれていた。
警察は歯形などから人骨を行方不明の少年のものと推定し、家主の妻を事情聴取した。
彼女は少年を最後に目撃した女性だったのである。
警察は厳しく取り調べたが、女性は人骨について何も知らないと犯行を否認し、その後は完全黙秘を貫いた。
物証に乏しい上、当時の技術では焼けた人骨のDNA鑑定は出来なかった。結局、警察は起訴を断念した。

それから10年後の1998年11月、警察はDNA鑑定により人骨が行方不明の少年のものと断定、女性を殺人罪で逮捕した。
時効まであと2ヶ月というギリギリのタイミングだった。
しかし、今回も女性は犯行を否認、完全黙秘を貫いた。
結果、2001年5月30日、一審で無罪判決。
傷害致死・死体遺棄・死体損壊罪は公訴時効が成立しており、殺人罪についても証拠が乏しく有罪にできなかったためだ。
検察は控訴したが、2002年3月19日に控訴棄却。上告は断念したため、女性の無罪が確定した。
その後、女性は刑事補償1160万円の請求を札幌地裁に起こし、支払いが決定した。

<ノンフィクション>

殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件 「新潮45」編集部 新潮文庫

限りなく黒に近いのに、完全否認と黙秘を貫き通して無罪を勝ち取った被告というのはかなり珍しい。
問題の女性は夫の殺害をもくろんで火災を起こした可能性もあるが、そちらは起訴すらされていない。

<リンク>
城丸君事件(wikipedia)
判決要旨へのリンクもあり。

金川真大

2008年3月に発生した土浦連続殺傷事件の犯人。
2008年3月19日午前、茨城県土浦市内で当時72歳の男性を背後から刺殺。
3月23日、常磐泉荒川沖駅付近で通行人と警察官8人を次々と刺傷、うち一人を殺害して現行犯逮捕された。
2009年12月18日、一審で死刑判決。
弁護士は即日控訴したが、同年12月28日、控訴取り下げ。
2013年2月21日に死刑執行。享年29歳。

<概要>
金川真大は四人兄弟の長男として生まれた。
高校では弓道で全国大会に行くなど真面目な生徒だったが、部活動を辞めてから生活態度が一変し、結局進学も就職もしなかった。
卒業後はバイト生活を送りながらゲームに打ち込んでいたという。後に潜伏する秋葉原にはこの頃から通っていたらしい。
ゲーム以外ではほぼ引きこもっていたため、家族からは冷遇されていたらしい。
父親から仕事をしろと責められて暴力を振るったりしていた。
自殺願望から何か大きな事件を起こしてやろうと考えるようになり、2008年の初頭には、後の事件で凶器となるナイフや包丁を購入していた。

2008年3月19日午前、金川は茨城県土浦市内で当時72歳の男性を背後から刺殺した。
直前までは妹を殺し、母校である小学校を襲うつもりだったという。しかし、妹は不在、小学校は卒業式で人が多かったために犯行を諦めた。
そしてたまたま目に付いた男性を刺したのだという。
現場の遺留品から、二日後には指名手配された。
その後秋葉原に潜伏するなどしていたが、3月22日には警察に捕まえてみろというような挑発の電話をかけている。
そして翌23日、金川は常磐泉荒川沖駅付近で通行人と警察官8人を次々と刺傷した。
彼は血の付いた包丁を持って駅から少し離れた交番に行き、呼び出し電話機から自ら通報、駆けつけた警官らにより現行犯逮捕された。
被害者のうち、27歳の男性が一人亡くなった。

裁判で、金川は自殺したいために凶行に及んだと述べた。
2009年12月18日、一審で死刑判決。
弁護士は即日控訴したが、同年12月28日、控訴取り下げ。
2013年2月21日に死刑執行。享年29歳だった。
なお、同日には小林薫も死刑執行されている。

<ノンフィクション>

死刑のための殺人: 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録 読売新聞水戸支局取材班 新潮社

読売新聞記者が金川とも接見を繰り返して書いたルポ。
金川は死刑になるために事件を起こしたのだという。つまり司法は彼に罰を与えたのではなく、望みを叶えたことになる。
この矛盾について考えさせられる一冊。

エリオット・ロジャー

Elliot Oliver Robertson Rodger

2014年5月23日、米国カリフォルニア州アイラビスタで起きた銃乱射事件の犯人。
6人を殺害、13人を傷害した後、自殺した。
享年22歳。

<概要>
エリオット・ロジャーは英国ロンドンで映画制作に関わる父親(映画『ハンガーゲーム』の助監督を務めたこともある)とマレーシア人の母親の間に生まれた。
5歳の時に米国ロサンゼルスに移住する。
その後両親は離婚、妹と共に母方に引き取られたが、金銭的には恵まれていた。

ロジャーは幼少期から内向的で対人関係に問題があり、カウンセリングに通っていた。
事件を起こす前には統合失調症の薬を服用するように勧められていたが、彼は拒否したという。
一方、彼はいじめられたり女性と上手くいかなかったりしたことで鬱屈を募らせていた。
カップルや気にくわない女性グループに対して暴力沙汰を起こすこともしばしばだった。

2012年頃には犯行の準備を始め、計画文書を書いたり銃器類を購入したりしていた。
またYouTubeに犯行を予告するような動画を投稿し、自宅まで保安官が尋ねたこともあったという。

2014年5月23日、ロジャーは犯行予告動画をアップし、犯行声明ともいえる長い文書を両親やソーシャルワーカーなどに送信した後、行動を起こした。
彼はまず同じアパートの男性3人を刺殺し、その後、BMWで別の女子寮前まで移動して銃を乱射。
撃たれた女子大学生2人と男子大学生1人は死亡した。
彼はその後も市内の道路を走りながら銃撃や衝突を繰り返し、13人を負傷させた。
最終的に、彼の乗った車は停車中の車にぶつかり停止した。
ロジャーは自らの頭を撃って自殺した。

<リンク>
YouTubeのチャンネル
ロジャーが投稿した動画はここで見られる。
"My Twisted World" manifesto(英語)
犯行声明。生まれてから犯行に至るまでの経緯が事細かく書かれている。これがまた恐ろしく長文。
曰く、自分は白人のブロンド美女と交際したいのに、相手にもされない。なのに、自分より劣っているはずのヒスパニックや黒人相手に股を開いている。許せない。
要するに、童貞をこじらせた非リア充の逆恨みである。
2chのスレに一部だが翻訳あり。
これを見るだけでも人物像と犯行動機は大体分かると思う。

ハイルブロンの怪人

Heilbronner Phantom
Phantom of Heilbronn

1993年から2008年にかけてドイツ、オーストリア、フランスの犯罪現場で検出された同一のDNAの持ち主。
殺人現場や麻薬取引の現場など少なくとも40件の事件の現場から相次いで同一のDNAが検出されたため、国際的な連続重大事件の犯人として現地警察が捜査していた。
しかし、2009年になってDNA検査に使用している綿棒に混入していた従業員のDNAであったことが判明した。

<概要>
2007年5月25日、ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州ハイルブロン市で22歳の女性警官が死亡、24歳の男性警官が重傷を負う事件が発生した。
この現場で採取されたDNAがドイツ各地の殺人事件や強盗事件の現場やフランスやオーストリアでも同一のDNAが発見された。
このことから警察は国際的な連続殺人として捜査を開始した。

最も古い事件は1993年にドイツで起きた殺人事件(DNA解析は2001年)で、以後2009年3月までに少なくとも40件の事件現場からこのDNAが発見されている。
DNA解析によると犯人は女性で、東欧やロシア出身者の可能性が高いとされた。
東欧の犯罪組織との関連や麻薬取引にも関わっているとされた。
2009年1月、ドイツ警察はこの『怪人』に30万ユーロの懸賞金をかけた。

しかし、2009年3月、フランスで難民男性の焼死体からも同じDNAが検出されるなど、おかしな事例が続出した。
調査すると、DNA採取に使用されていた綿棒に人間のDNAが混入していたことが発覚した。
続く調査で、問題のDNAは綿棒を納入していた業者(ドイツ語のwikiによればグライナーバイオワンらしい。ヨーロッパの世界的試薬メーカーである)の工場従業員のものだと分かった。
無論、彼女は事件とは無関係だった。
この綿棒は滅菌されていたが、人間のDNA検査に使用すべきものではなかったのだ。

ドイツの大衆紙はこの事件を「戦後のドイツ警察の歴史で最もお粗末」と批判したそうだ。

<リンク>
ハイルブロンの怪人(wikipedia)

八王子スーパー強盗殺人事件

1995年7月30日、東京都八王子市大和田町のスーパーで起きた強盗殺人事件。
事件は閉店後のスーパー二階事務所で起き、パート・アルバイトの女性三人が射殺された。
警視庁による正式な呼称は大和田町スーパー事務所内けん銃使用強盗殺人事件。
2014年現在、未解決。

<概要>
1995年7月30日午後9時15分過ぎ、東京都八王子市大和田町のスーパー「ナンペイ大和田店」の二階事務所に何者かが押し入った。
当時事務所にいたのは当時47歳のパート女性とアルバイトの女子高校生二人の計三人。
女子高校生二人は粘着テープで口を塞がれ、背中合わせの状態で手を縛られていた。犯人は至近距離から後頭部に発砲、2人を殺害した。
パート女性も頭部に二発の銃弾を受けて殺害された。腹部には刺傷痕もあった。

警察は強盗殺人事件とみて捜査しているが、犯人は何も奪わず逃走しており、事務所内の金庫を開けようとした形跡はなく、その他の貴金属類にも手をつけていない。
このため怨恨が動機という説もある。
また、凶器が拳銃なことや三人もの人間をためらいもなく殺害したことから外国人説もある。

犯人として2002年に逮捕された70代男性(この男は警察庁長官狙撃事件でも名前が挙がった)や、中国の日本人死刑囚(2010年に死刑執行)、カナダ在住の中国人などが報道されたことがある。
しかし、いずれも逮捕には至っていない。

公訴時効の撤廃により、2014年現在も捜査中。
捜査特別報奨金制度の対象で、600万円の懸賞金がかかっている。

<リンク>
大和田町スーパー事務所内けん銃使用強盗殺人事件(警視庁)